さて、今回のブログです。プロ野球選手は人それぞれ引退する年齢は様々ですが、大体30台後半から40歳までに引退する選手が大半をしめます。
その後、コーチや監督、解説者になる人もいますが、全ての選手が野球の仕事を続けられるわけではありません。今回は、プロ野球選手を辞めた後、タレントや司会者、俳優で成功した板東英二さんをとりあげます。
若い方は知らないと思いますが、板東さんはかつて、投手として甲子園で大活躍、さらにプロ野球の中日ドラゴンズの選手でした。
今はタレントとしての活躍の方が有名な板東さんですが、野球選手としての実力はどの位だったのかを真剣に検証してみます。
〇板東英二さんの、夏の甲子園での活躍と奪三振記録の詳細
〇板東英二さんのプロ野球での年度別投手成績
〇板東英二さんのプロ野球での通算成績
〇板東英二さんの契約金と、同じ年に入団した王貞治選手の契約金の額
〇板東英二さんのプロでの投手としての客観的評価
昭和33年の夏の甲子園大会での83奪三振の新記録

板東さんは中学時代初め遊撃手でしたが、3年になると投手に転向し61連勝を記録します。高校は徳島商業高等学校に進学。1年、2年の年は残念ながら甲子園に届きませんでした。しかし、3年生の弟40回大会の夏の予選で勝ち進み、徳島商は見事甲子園に出場します。この大会で6試合で通算奪三振83の大会新記録を樹立します。
・2回戦(初戦)で秋田商を完封、17奪三振。
・3回戦で、八女高から15奪三振。
・魚津高との準々決勝は、延長18回を完投し、0-0の引き分け。 25奪三振。
・再試合ルールが適用され、翌日の再試合は完投勝利で9奪三振。
・準決勝は、作新学院に14奪三振で勝利。
・決勝は柳井高に負けたものの4奪三振。
大会を通じて83奪三振は、100回以上の歴史を誇る甲子園大会でも、歴代1位の記録として、何と62年間も誰にも破られていません。1試合の25奪三振も大会記録です。
因みに、すると春の選抜大会の奪三振の記録はいくつで誰がもっているの?と思うかもしれません。
選抜の記録は昭和48年の60個で、作新学院の怪物といわれた江川卓投手がもっています!(o^^o)
板東英二のプロ野球での年度別成績
年度 | 登板 | 先発 | 勝利 | 投球回 | 防御率 |
S.34 | 33 | 12 | 4 | 97.0 | 3.15 |
S.35 | 44 | 20 | 10 | 174.2 | 2.62 |
S.36 | 47 | 33 | 12 | 193.1 | 2.60 |
S.37 | 28 | 13 | 2 | 88.2 | 4.25 |
S.38 | 30 | 6 | 3 | 73.2 | 3.04 |
S.39 | 53 | 9 | 6 | 140.1 | 3.09 |
S.40 | 55 | 8 | 12 | 156.1 | 2.25 |
S.41 | 60 | 1 | 13 | 133 | 2.57 |
S.42 | 51 | 1 | 14 | 119.2 | 2.55 |
S.43 | 18 | 0 | 1 | 21.2 | 6.55 |
S.44 | 16 | 0 | 0 | 22.1 | 3.68 |
合計 | 435 | 103 | 77 | 1220.2 | 2.89 |
板東英二の通算成績
身長 | 168㎝ | |
体重 | ||
利き腕 | 右投げ右打ち | |
守備位置 | 投手 | |
背番号 | 30.14 | |
所属球団 | 中日ドラゴンズ | |
実働 | 11年 | |
登板 | 435 | |
先発 | 103 | |
完投 | 21 | |
完封 | 7 | |
無四球 | 7 | |
勝利 | 77 | |
敗戦 | 65 | |
勝率 | .542 | |
投球回 | 1220.2 | |
与四球 | 332 | |
奪三振 | 748 | |
防御率 | 2.89 | |
最多勝 | 0回 | |
最優秀防御率 | 0回 | |
最多奪三振 | 0回 | |
最高勝率 | 0回 | |
MVP | 0回 | |
沢村賞 | 0回 | |
ベストナイン | 0回 | |
ゴールデングラブ賞 | ー |
中日ドラゴンズに契約金2000万円で入団。
さて、甲子園で大活躍した板東さんには、当然のようにプロ野球から声がかかります。板東さん自身は慶應義塾大学に進学したかったようですが、家庭の事情で中日ドラゴンズに契約金2000万円で入団します。
同期には春の選抜優勝投手で有名な王貞治選手がいました。王さんの巨人の契約金が1800万円。契約金だけみると、入団当初は、板東さんのほうが期待が高かったとも考えられますね。 ( ^ω^ )
板東英二さんの野球選手としての実力
結論からいうと、板東さんは高校野球では、甲子園で大活躍していますし、高校時代は、投手として1流の投手だったことは間違いないと思います。
プロ野球では、20勝投手(年間で)にはなれませんでしたが、2桁勝利5回で、通算防御率は2.89と2点台。実働11年て通算77勝65敗。防御率2.89。
通算435登板のうち、先発が103ですから、332試合はリリーフで登板していたことになります。特にプロ生活の5年目からは、ほとんどリリーフということが記録からわかります。


プロで名を残すには、投手なら通算100勝、打者なら通算1000本安打といわれています。この考え方からいうと、プロでは1流というのは記録的には正直厳しいという結論です。
しかし、防御率は2.89と2点台。僕は板東さんが書いた本を何冊か読みましたが、本人は著書のなかで、「今のプロ野球だったら僕の防御率もよくて3.50はいっていたと思う」と書いていました。
他にも「プロ野球選手になる人は野球の天才」「プロに入ったときに、僕の肩はボロボロだった」とも発言しています。