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物干し竿バットで46本塁打!ミスタータイガース 藤村富美男の成績

さて、これまで、川上哲治、大下弘、青田昇と、大正生まれの強打者を紹介しました。

今回は、同じ大正生まれで、日本のプロ野球創立から大阪タイガースに在籍し、戦後、物干し竿バットでホームランを量産。ミスタータイガースと呼ばれた藤村富美男選手を紹介します。

藤村さんは、その豪快な打撃やプレーと、ショーマンシップでファンをわかせました。

この記事を読んでわかること

○藤村富美男選手の経歴と甲子園での活躍

○物干し竿バットの長さと使い始めた理由

○藤村富美男選手の選手としての特徴

○藤村富美男選手の年度別打撃成績

○藤村富美男選手の通算成績

呉港中学校のエースとして甲子園を全国制覇

藤村富美男さんは、大正5年8月14日に、広島県呉市に、8人兄弟の7番目に生まれました。尋常小学校に入学し野球を始めます。昭和6年に大正中学校に入学後します。

2年生の16歳で早くもエースとなり、甲子園には春夏合計で6度も出場します。

同時期に、明石中学の楠本保、京都商業の沢村栄治、中京商業の吉田正男などの名投手と名勝負を繰り広げ、甲子園の申し子とまで呼ばれるほどでした。

特に、昭和9年の夏の甲子園では、他のチームに圧勝しつづけ、全国制覇を果たしています。

決勝では、熊本工業と対戦し、プロでライバルとなる川上哲治から3連続三振を奪っています。

川上は、藤村のことを、「髭を生やして、1人だけ大人が混じっているようだったと話し

藤村は、川上のことを、「川上がいたなんてさっぱり覚えていない」と語っています。

昭和11年に職業野球の大阪タイガース入団

甲子園の大活躍後、藤村本人は法政大学に進学を希望していました。しかし、大阪タイガース(現在の阪神タイガース)が熱心に勧誘し、結局、11月11日に投手として契約しました。

当時のタイガースは、松木謙治郎、景浦將、藤井勇などの強打者が在籍し、藤村はどちらかというと目立たない存在でした。

昭和14年から17年までは兵役にとられ、南方戦線に出向き、未出場。昭和18年になつのシーズンからタイガースに復帰します

のちに量産するホームランも戦前はたったの3本。藤村が長打バッターとして活躍するのは戦後のことになります。

ミスタータイガースとして活躍! 物干し竿バットでシーズン46本塁打の新記録

戦後は、昭和22年から不動の4番打者として活躍します。

さて、藤村さんといえば物干し竿バットといわれた長いバットです。

世間では、ライバルの巨人川上哲治選手の赤バット、東急フライヤーズの大下弘選手の青バットに対抗して、物干し竿バット(通常よりも長いバットのこと)を使用したと伝わっています。

しかし、チームメイトだった後藤次男さんによると、昭和23年に鳴り物入りで全大阪から入団してきた別当薫選手に刺激されて使用するようになったのが本当らしいです。

因みに、その物干し竿バットは、37インチで(約94cm)他の選手が使用しているバットよりも8cm近くも長いです。

その長い物干し竿バットの遠心力を利用してホームランを量産。

ラビットボール(よく飛ぶボールのこと。昭24.25年に使用された)の好条件も重なって、
昭和24年にはシーズン46本塁打の新記録を樹立しました。

さらに、驚くのはその打点力です。生涯に5回も打点王になっていますが、

昭和24年は137試合でで142打点。

昭和25年には140試合で146打点。

2年連続で140打点以上。

いずれの年も試合数をうわまわる打点をあげています。

その活躍ぶりから、ミスタータイガースと呼ばれました!

昭和25年の146打点は長いあいだチーム記録だったけど、平成17年に今岡誠選手が147打点で更新したよ!

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長嶋茂雄も憧れたショーマンシップ

ライバル川上哲治選手がバッターボックスに入ったら微動だにしなかったのは対照的に、1球投げるたびに打席を外したり、わざと「しまった」という顔をして、投手に同じボールを投げさせてヒットにしたりしたようです。

さらに、青田昇さんの著書によれば、後楽園で左足をくじいていて欠場中のとき、足を引きずりながら代打ででてきて見事ホームラン!

足を引きずりながらダイヤモンドを回るとおもわせておいて、片足でピョンピョンと1周したなど、とにかくファンサービスにたけていたようです。^_^

因みに、長嶋茂雄さんは、少年時代は阪神ファンで、その中でも藤村さんのファンだったようです。

藤村富美男の年度別打撃成績

年度 試合 安打 打率 本塁打 打点
昭和11春夏 13 11 .297 0 5
昭和11秋 25 18 .346 2 13
昭和12春 40 25 .238 0 15
昭和12秋 40 40 .317 0 16
昭和13春 35 44 .301 0 20
昭和13年秋 40 43 .262 1 34
昭和18 34 25 .202 0 11
昭和19 35 41 ..315 0 25
昭和21 96 121 .323 5 69
昭和22 119 132 .274 2 71
昭和23 140 166 .290 13 108
昭和24 137 187 .332 46 142
昭和25 140 191 .362 39 146
昭和26 113 131 .320 23 97
昭和27 120 149 .314 20 95
昭和28 130 135 .294 27 98
昭和29 114 115 .273 21 78
昭和30 112 94 .269 21 63
昭和31 51 23 .219 4 19
昭和33 24 3 .115 0 1
合計 1558 1694 .300 224 1126

藤村富美男の通算成績

身長 173㎝
体重 79kg
利き腕 右投げ右打ち
守備位置 三塁手、投手
背番号 10 阪神の永久欠番
所属球団 大阪タイガース
実働 17年
試合 1558
打席 6358
打数 5648
安打 1694
二塁打 339
三塁打 63
本塁打 224
塁打 2831
打点 1126
得点 871
盗塁 103
盗塁死 39
四球 631
三振 424
打率 .300 .2999の切り上げで3割
出塁率 .374
長打率 .501
最多安打 2回 昭和24、25年
首位打者 1回 昭和25年
本塁打王 3回 昭和11年秋、昭和24、28年
打点王 5回 昭和19、22、23、24、28年
MVP 1回 昭和24年、チームは6位ながら選出
ベストナイン 6回 昭和22~27年
ゴールデングラブ賞
サイクルヒット 2回 昭和23年10月2日に、日本プロ野球史上初達成!