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【プロ通算32年】【50歳で登板】山本昌広投手の成績 通算219勝

さて、プロ野球界には、毎年期待の若手新人が入団してきますよね。高卒、大卒、社会人など。

しかし、弱肉強食のこの世界は、入団してくる選手もいれば、毎年必ず引退、退団していく選手たちがいます。

引退試合をしてもらえる選手は本当に一握り。

今回は、そんな競争が激しいプロ野球界で、日本最長の通算32年間の現役生活を全うし、50歳で登板を果たした、中日ドラゴンズのエース、山本昌広投手を紹介します。

山本昌広投手は、41歳でノーヒットノーランを達成するなど、数々の最年長記録をもち、最多勝のタイトルも3回獲得。

ドラゴンズ6回のリーグ優勝と、1回の日本一に貢献しました。(o^^o)

この記事を読むと、山本昌投手のプロで活躍するまでの経歴や、つくった最年長記録がよくわかりますよ♪

日大藤沢高校からドラフト5位で中日ドラゴンズに入団

山本昌さんは、昭和40年に、神奈川県茅ケ崎市に生まれます。生まれたときは、体重が4200グラムもありました。

看護師に、「この子は相撲取りにするしかない」といわれたくらいです。

1歳の頃、自宅アパートから転落し重傷をおいます。(‘Д’)ああああ・・・・
しかし、何とか回復して成長します。

高校は、日本大学藤沢高等学校に推薦で入学。高校時代は、甲子園出場はなりませんでした。しかし、それでも県下No.1左腕の評価をえます。

山本昌投手は、日本大学藤沢高等学校を卒業後、昭和58年のドラフト会議で5位指名されます。

本人は、高校卒業後は、日本大学政治経済学部に進学するつもりで、教師を目指していました。しかし、ドラフトで指名されたことで、さらに父親が中日ドラゴンズファンだったことが大きく、結局入団を決意しました。

契約金は2500万円。年棒300万円でした。

プロ入り5年目に初勝利の遅咲き!

さて、中日ドラゴンズに入団した山本昌投手で。しかし、プロの世界は厳しく、入団以来4年間は1勝もあげられません。

山本昌投手の転機になったのは、昭和63年のベロビーチキャンプです。

当時、中日は、ロサンゼルスドジャースと業務提携をしており、山本昌をそのままアメリカに残します。

そこで、前年山本昌投手の指導をしていたアイク生原氏との再会がその後の野球人生を変えます。投手としての基本や、生活習慣を指導され、何より消えかけていた野球への楽しさや熱意を再び思い出しました。

チームメイトのジョセフ・スパニュオーロにスクリューボールの投げ方を教わります。山本に水があったのか面白いように曲がりました。決め球としても通用しました。

その後、中日が山本昌の成長ぶりを知って日本に呼び戻します。
帰国直後の昭和63年は、覚えたスクリューボールを駆使して何と5連勝。
中日のリーグ優勝に貢献しました。

杉下茂氏の勝星を抜き、球団トップの通算219勝を達成

平成20年には、ナゴヤドームでの巨人戦に完投勝利して、24人目の通算200勝達成。

中日ドラゴンズの投手で、過去に200勝を達成したのは、フォークボールの元祖で有名な杉下茂氏についで51年ぶり2人目です。

2012年には、球団記録の杉下茂投手の211勝を超えて212勝目。

のちに、引退までにさらに勝ち星を7個増やして通算219勝で引退することになります。

2桁勝利は、平成4年から3年連続を含めて通算10回。

投球回数も、平成6年の214回、平成9年の206.2回と、2度のリーグ最多投球回を含めて通算3348.2回を記録。

奪三振も12回の100奪三振以上を含む通算2310奪三振。

長く現役を続けたことがおおきく、通算記録が高いのが目立ちます。

因みに、山本投手が実働29年という長い年月で219勝をあげたのに対して、杉下投手は僅か実働11年で通算215勝をあげました。

杉下氏は当時、山本昌投手に対して「長くかかったな」と言葉をかけています。

杉下茂投手は、実働11年のうち、中日ドラゴンズでは実働10年で通算211勝。最後の1年は毎日大映オリオンズに在籍して4勝して、通算215勝になります。

41歳でノーヒットノーラン達成

平成18年には、41歳で、最年長記録のノーヒットノーランの偉業を成し遂げます。

しかも、この試合は、山本自身安打も四球も死球も出さず、許したランナーは、4回の森野将彦の失策(エラーのこと)1人だけ。もう少しで、平成6年の、巨人槙原以来の完全試合になるところでした。

森野選手は、自分のエラーで完全試合がつぶれたことでかなり落胆していましたが、山本投手は、

「あのプレーがあったからノーヒットノーランができた」

と大人の発言をしています。(o^^o)

日本プロ野球初の50歳で試合に出場

さらに、山本昌投手の最年長記録は沢山ありますが、おそらくこの記録が特筆ものだと思っています。

それは、日本プロ野球史上初、50歳で試合に出場したことです。

そもそも、一般人はどんな元気な人でも40歳を超えると膝をまげると痛かったり身体のどこかに異変が起きたり、持病を一つくらいは抱えているのが普通です。

いくらプロ野球選手で、常日頃から身体に気を使って鍛えているにしても、50歳での出場はそれだけでも偉業にあたります。

そんな山本昌氏ですが、何か特別な身体の手入れをしているのかと疑問に思う人もいるかもしれませんよね♬ 実はあるんです!(o^^o)

このモットンというのを長年愛用しています。


こんな素晴らしいマットレスがあったから32年も現役でいられたんだニャー!僕も欲しいニャー!
自分の体は自分が守らないと。プロ野球選手ならなおさらだよ!

山本昌広投手が達成した主な最年長記録

プロ通算32年
実働29年
41歳でノーヒットノーラン
42歳11か月で200勝達成
43歳で2桁勝利
45歳24日で完投勝利・完封勝利
49歳25日で勝利投手
49歳363日で奪三振
50歳1か月26日で登板

山本昌広投手の年度別投手成績

年度 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
昭和61年 0 0 0.2 2 27.00
昭和62年 0 0 1.2 1 16.20
昭和63年 5 0 48.2 35 0.55
平成元年 9 9 181 108 2.93
平成2年 10 7 152 77 3.55
平成3年 6 8 144 96 3.63
平成4年 13 10 170.2 135 3.43
平成5年 17 5 188.1 132 2.05
平成6年 19 8 214 148 3.49
平成7年 2 5 74.2 61 4.82
平成8年 7 9 154.2 119 3.67
平成9年 18 7 206.2 159 2.92
平成10年 9 9 182 131 3.66
平成11年 8 5 158.1 116 2.96
平成12年 11 9 151.2 104 2.61
平成13年 10 13 163.2 98 3.63
平成14年 7 6 86.1 67 3.96
平成15年 9 7 156 121 3.58
平成16年 13 6 157 120 3.15
平成17年 7 8 116 69 4.89
平成18年 11 7 170.2 124 3.32
平成19年 2 10 108.1 71 5.07
平成20年 11 7 133.2 84 3.16
平成21年 1 4 27 14 10.67
平成22年 5 1 47.2 28 3.21
平成24年 3 2 67.1 40 2.94
平成25年 5 2 70.2 39 4.46
平成26年 1 1 14 9 4.50
平成27年 0 0 1.1 2 6.75
合計 219 165 3348.2 2310 3.45

 

山本昌広投手の通算成績

身長 186cm
体重 87kg
利き腕 左投げ左打ち
守備位置 投手
背番号 34番
所属球団 中日ドラゴンズ
実働 29年 プロ通算32年
登板 581
先発 514
完投 79
完封 30
無四球 10
勝利 219 歴代16位
敗戦 165
勝率 .570
投球回 3348.2 歴代15位
与四球 866
奪三振 2310 歴代11位
防御率 3.45
最多勝 3回 平成5、6,9年
最優秀防御率 1回 平成5年
最多奪三振 1回 平成9年
最高勝率 1回 平成5年
MVP 0回
沢村賞 1回 平成6年
ベストナイン 2回 平成6,9年
ゴールデングラブ賞 0回