プロ野球選手

伝説のサウスポー! 江夏豊氏の成績! 年間401奪三振 !

さて、V9時代の巨人のエースは堀内恒夫投手でした。そして、その時代の巨人のライバル阪神タイガースのエースといえばもうこの人以外にいません!

今回は5球団を渡り歩き、その投球術から天才とまで言われ、長嶋茂雄、王貞治選手らと数々の名勝負を繰り広げ、日本プロ野球の歴史に数々の伝説を残した江夏豊投手を取り上げます。

この記事を読むメリット

〇江夏豊投手の経歴、年度別成績、通算成績がわかる

〇江夏豊投手のオールスターでの9連続奪三振の詳細やノーヒットノーランの詳細がわかる



新人から6年連続で奪三振王!年間401奪三振!


当時はタイトルではなかったですが、とにかく球が早く、1年目から225個で奪三振王になっています。勝敗記録は12勝13敗。ただ、新人王は打率.299を記録したサンケイの武上選手が受賞しています。

2年目の昭和43年は阪神時代に1番成績が良かった年であり、25勝12敗 防御率2.13
奪三振は西鉄の稲尾投手がもつ353個を大幅に破る401奪三振の新記録!
(因みに大リーグ記録はノーランライアンの383個)

354個目の奪三振はライバル巨人の王貞治選手から奪っています!この記録は50年以上たったいまでも誰にも破られることはなく、不滅の記録の1つとも言われています!

結局、得意の奪三振は入団1年目から6年連続して奪三振王になっています。20勝も4回記録しました。防御率も毎年2点台です。

急速も当時の選手によると150キロは軽くでていたそうです!

昭和43年の投球回は329回で401奪三振!奪三振率は10.97にもなる!
奪三振率は、1試合(9イニング)投げた時の平均の奪三振の数のことニャー!今までの最高は2019年千賀投手の11.33だニャー!

夢のオールスターで9連続奪三振!

昭和40年代は江夏投手の全盛期で凄い記録も沢山つくっています。

昭和46年には、オールスターゲームでパリーグの強打者たちを相手にパーフェクトの9連続奪三振!おまけにこの試合では、パリーグの先発の米田投手から先制のホームランを打っています!

 

1回裏 有藤通世(ロッテ) 空振り三振 5球
基満男(西鉄) 空振り三振 5球
長池徳二(阪急) 空振り三振 4球
2回裏 江藤慎一(ロッテ) 空振り三振 5球
土井正博(近鉄) 空振り三振 3球
東田正義(西鉄) 見逃し三振 6球
3回裏 阪本敏三(阪急) 見逃し三振 6球
岡村浩二(阪急) 空振り三振 3球
加藤秀司(阪急) 空振り三振 4球
合計 41球

前年のオールスター、翌日の試合も含めると15連続奪三振!この記録を止めたのはのちに監督としてお世話になる野村克也選手でした。

昭和48年8月30日の中日戦は、延長11回をノーヒットノーラン、自分でサヨナラホームランを打って試合を決着しました!

他にも公式戦で中日ドラゴンズを相手に連続34人をパーフェクトに抑えた記録もつくっています。

ただ、この時代はとにかく巨人が勝ち続けて、江夏投手が活躍していても阪神は万年2位みたいな状態で、結局阪神時代には優勝が出来なかったのは残念です。

令和2年の現在でも延長戦でノーヒットノーランを記録したのは江夏投手だけ!
自分でサヨナラホームランで決着なんて最高にドラマチックだニャー!

阪神タイガースにドラフト1位で入団!

江夏さんは昭和23年5月15日に奈良県で生まれました。子供のころはガキ大将だったそうですが、遊びでも作戦を考えたりするのが好きだったそうです。

後に天才的なピッチングでファンを魅了する江夏氏ですが、このころから片鱗はうかがえます。

子供のころは大人に混じって野球をしていたそうですが、高校では野球部の他に肩が強いので陸上で砲丸投げの選手としても活躍しました。

大阪学院高校でも勿論エースでしたが、惜しいところで負けて、甲子園出場はなりませんでした。

昭和41年の第1次ドラフトでは阪神以外にも巨人、東映、阪急の4球団が1位指名競合しましたが、地元の阪神がクジを引き当てました!左投げ左打ちで、阪神時代の背番号は28です。

野村克也氏との出会い 抑え投手に転向

昭和42年~昭和50年まで阪神タイガースで大活躍した江夏投手ですが肩を壊したのを理由に南海ホークスにトレードされてしまいます。

はじめは阪神を退団するのもリリーフ投手になるのも嫌がっていた江夏さんですが、当時の南海の監督兼選手の野村さんの熱意のこもった説得もあり

「野球界に革命を起こそうや!」
との言葉にとうとう納得してリリーフ投手として活躍することになります。

日本のプロ野球野球ではちょうどこの時期(昭和47年~昭和52年)セーブ記録や最優秀救援投手のタイトルができた時期ですが、それまでは投手の記録してというと、勝星と防御率くらいで、奪三振ですらタイトルではなく、ようやく平成になってからタイトル扱いになったくらいです。

個人的にはタイトルが多ければ全てよしとは思いませんが、記録は野球ファンの楽しみの1つとして定着しているし、近年のホールドもそうですが色んな角度から選手が評価されるようになったことはいいことだと思います。

江夏の21球

さて、南海で2年間活躍後も江夏投手は各球団を転々とします。広島、日本ハム、西武。

特に広島時代の昭和54年の11月4日大阪球場でおこなわれた日本シリーズの第7戦の9回裏の投球は 「江夏の21球」として今でも語り継がれています。広島が1点リードで近鉄の攻撃ですが、江夏さんは無死満塁と追い込まれてしまいます。

そこから相手打者のスクイズを見抜いて上手く投げる瞬間にボールを投げるわけですが、見事打者の石渡選手のバットをくぐり抜けて、3塁から走ってきた走者をタッチアウト、結局近鉄は無得点で、広島が球団史上初、江夏自身も初の日本一を経験します!

日本プロ野球引退、大リーグ挑戦!

さて、昭和59年の西武を最後に日本のプロ野球を引退した江夏さんですが、最後の気力を振り絞り大リーグを挑戦します。

今でこそ日本人選手の大リーガーは珍しくありませんが、昭和60年当時は、過去に大リーグの選手は南海の村上雅則投手1人だけ。結局、大リーグには上がれませんてしたが、本人は完全燃焼したみたいで本当の引退になりました。

江夏豊投手の年度別成績

年度 勝利 セーブ 投球回 奪三振 防御率
S.42 12 230.1 225 2.74
S.43 25 329 401 2.13
S.44 15 258.1 262 1.81
S.45 21 337.2 340 2.13
S.46 15 263.2 267 2.39
S.47 23 269.2 233 2.53
S.48 24 307 215 2.58
S.49 12 8 197.2 149 2.73
S.50 12 6 208.1 132 3.07
S.51 6 9 148.1 109 2.98
S.52 4 19 84 60 2.79
S.53 5 12 95.1 99 3.03
S.54 9 22 104.2 117 2.66
S.54 9 21 86 86 2.62
S.56 3 25 83 75 2.82
S.57 8 29 91 107 1.98
S.58 2 34 77.1 82 2.33
S.59 1 8 24.2 28 3.65
合計 206 193 3196 2987 2.49

江夏豊投手の通算記録

実働18年
登板 829
完投 154
完封 45
無四球 21
勝利 206
敗戦 158
勝率 .566
セーブ 193
投球回 3196
奪三振 2987 日本5位
防御率 2.49

最多勝 2回
最優秀防御率 1回
最優秀救援投手 5回

沢村賞 1回
MVP 2回 初の両リーグで受賞!
ベストナイン 1回

400奪三振以上 1回
300奪三振以上 1回
200奪三振以上 5回

ノーヒットノーラン1回 

通算成績をみてもやはり奪三振の記録が目につきます!投球回3196で2987奪三振なので野球人生トータルでみても1イニングに約1個は奪っていた計算になります!

それ以上に王さん長嶋さんに対しての真っ向からのピッチングや他に誰にもできないような数々の伝説を残してファンを魅了した豪球投手であったことは間違いありません。