さて、皆さんは戦後、最高の防御率を記録した投手を知っていますか?
400勝した金田正一投手やシーズン42勝の稲尾和久投手ももちろん凄い記録です。
しかし、投手はなんといっても得点を与えないことが一番大切だと言われます。
今回は阪神タイガースで江夏豊氏の前のエースであり、、戦後最高の防御率0.98を記録した村山実氏をとりあげます。
村山投手といえば、展覧試合で長嶋茂雄選手にサヨナラホームランを打たれて以来、最高のライバルであると同時に最高のフォークボールを投げたことで有名です。
村山さんは、20勝も5度記録、毎年防御率も良く、セリーグ最高の投手に贈られる沢村賞も最多タイの3度受賞しています。
村山実投手の功績をじっくりとふりかえります。
戦後唯一の防御率0点台を記録!
まず、結論からいいます。村山投手は昭和45年に戦後最高防御率0.98を記録しました。
この数字がどういうことかというと、味方が1点とれば勝ったということです。
日本のプロ野球では、過去に防御率0点台を記録した投手は何名かいます。しかし、その大半は飛ばないボールを使用していた戦前の記録です。
戦後、もしくは昭和25年にセリーグ、パリーグの2リーグ制になってからでも、規定投球回を投げて0点台を記録した投手は村山選手だけです。
契約金500万円で阪神タイガース入団
村山投手は昭和11年12月10日に兵庫県神戸市に生まれました。
住友工業高校へ進学し関西大学を卒業。昭和34年に阪神タイガースに入団しました。右投げ右打ちで背番号はのちに永久欠番になる11番です。
新人でいきなり18勝をあげます。295.1投球回を投げて294奪三振。防御率も1.19。文句なしの成績でセリーグの最高の投手に贈られる沢村賞を受賞します。
新人王の資格は十分でした。しかし、不運にも31本塁打を記録した大洋ホエールズの桑田武選手が受賞しています。
のちに、村山投手は、
「新人王は、桑田のホームランに取られてしまった。野球人生でただ一つの心残り」
と語っていました。
巨人、長嶋茂雄との名勝負
昭和34年、6月25日の天覧試合の巨人戦で、の長嶋茂雄選手にレフトポール際でサヨナラホームランを打たれた話は有名です。
(村山さんはこのホームランを引退後もファールだと信じていたそうですがd(^_^o))
以後、長嶋さんは村山投手の最高のライバルであり1500奪三振、2000奪三振も長嶋さんから奪っています。
2年目の昭和35年こそジンクスにハマってしまったのか8勝止まりでしたが、それ以降は阪神タイガースのエースとして活躍しました。
昭和37年にはチームのもう1人の20勝投手小山投手と2人で52勝して、阪神を2リーグ制後初の優勝に導き、25勝14敗、防御率1.20でMVPに選ばれました。
因みに、村山投手の通算の勝利が222勝、長嶋選手の通算本塁打が調度倍の444本、偶然ですが面白い数字ですね!笑
戦後最高防御率 年間0.98 を記録
そして昭和45年についにフォークボールを武器に戦後最高である防御率0.98を記録します。
下記の表を見てもらえればわかるとおり、戦後の防御率ベスト10を見ても、村山投手が1.3.4位と3度もランクインしています。
投手名 | シーズン防御率 | 年度 | 備考 |
➀村山実 | 0.98 | 昭和45年 | セ・記録 |
➁稲尾和久 | 1.06 | 昭和31年 | パ・記録 |
➂村山実 | 1.19 | 昭和34年 | |
④村山実 | 1.20 | 昭和37年 | |
⑤田中将大 | 1.27 | 平成23年 | |
⑥田中将大 | 1.27 | 平成25年 | |
⑦金田正一 | 1.30 | 昭和33年 | |
⑧別所毅彦 | 1.33 | 昭和30年 | |
⑨島原幸雄 | 1.35 | 昭和31年 | |
⑩稲尾和久 | 1.37 | 昭和32年 |
平成5年にヤクルトスワローズのスーパールーキーである伊藤智仁投手が、高速スライダーを武器に防御率0.91を記録しました。
しかし投球回数は109イニングで規定投球回には惜しくも届きませんでしたので、新記録はなりませんでした。
村山実投手の年度別投手成績
年度 | 勝利 | 敗戦 | 投球回 | 奪三振 | 防御率 |
昭和34 | 18 | 10 | 295.1 | 294 | 1.19 |
昭和35 | 8 | 15 | 167.2 | 153 | 2.52 |
昭和36 | 24 | 13 | 293 | 221 | 2.27 |
昭和37 | 25 | 14 | 366.1 | 265 | 1.20 |
昭和38 | 11 | 10 | 158.1 | 121 | 2.79 |
昭和39 | 22 | 18 | 255 | 159 | 3.32 |
昭和40 | 25 | 13 | 307.2 | 205 | 1.96 |
昭和41 | 24 | 9 | 290.1 | 207 | 1.55 |
昭和42 | 13 | 9 | 180.1 | 126 | 2.79 |
昭和43 | 15 | 8 | 198 | 152 | 2.73 |
昭和44 | 12 | 14 | 214.2 | 160 | 2.01 |
昭和45 | 14 | 3 | 156 | 118 | 0.98 |
昭和46 | 7 | 5 | 83 | 45 | 2.71 |
昭和47 | 4 | 6 | 84.2 | 45 | 3.61 |
合計 | 222 | 147 | 3050.1 | 2271 | 2.09 |
村山実投手の通算成績
身長 | 175cm | |
体重 | 83kg | |
利き腕 | 右投右打 | |
守備位置 | 投手 | |
背番号 | 11 | 阪神の永久欠番 |
所属球団 | 大阪タイガース 阪神タイガース |
|
実働 | 14年 | |
登板 | 509 | |
先発 | 348 | |
完投 | 192 | |
完封 | 55 | |
無四球 | 32 | |
勝利 | 222 | 14位 |
敗戦 | 147 | |
勝率 | .602 | |
投球回 | 3050.1 | |
与四球 | 639 | |
奪三振 | 2271 | 12位 |
防御率 | 2.09 | 6位、セリーグ記録 |
最多勝 | 2回 | |
最優秀防御率 | 3回 | |
最多奪三振 | 2回 | |
最高勝率 | 1回 | |
MVP | 1回 | 昭和37年 |
沢村賞 | 3回 | 3回受賞は1位タイ |
ベストナイン | 3回 | |
ゴールデングラブ賞 | ー | |
殿堂入り | ◎ | 競技者、平成5年 |
村山投手は大卒選手ながら通算200勝も達成しています。沢村賞3度の受賞も最多記録です。
14年の現役生活で、防御率が3点台以上は昭和39.47年の2回しかなく、相手チームに最も点を与えない投手の1人であったことは間違いありません。