さて、6月6日の記事で、日本の兄弟選手をとりあげました。今回は大リーグ編をやろうと思います。歴史の長い大リーグでは、日本以上に兄弟で活躍した選手が沢山います。
56試合連続安打の大リーグ記録をもち、マリリン・モンローと結婚したことでも有名な、ジョー・ディマジオも3兄弟で活躍しています。今回は5組紹介します。
ウェイナー兄弟

ポール・ウェイナー
1903年4月16日生まれ 左投げ左打ち 右翼手
主にパイレーツでプレー
デビューから12年連続3割以上。首位打者4回の大打者。1927年に首位打者、打点王でMVP。ブレーブス時代に3000本安打達成。ニックネームは、「ビック・ポイズン」
試合 | 得点 | 打数 | 安打 | 出塁率 |
2549 | 1627 | 9459 | 3152 | .404 |
打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 四球 |
.333 | 113 | 1309 | 104 | 1091 |
ロイド・ウェイナー
1906年3月16日生まれ 右投げ左打ち 中堅手
兄と同じく主にパイレーツでプレー
ルーキーの年の223安打は2020年現在でもナリーグ記録。三振が少ない打者で、通算8334打席で僅かに173三振。77試合無三振もナリーグ記録。
ニックネームは「リトル・ポイズン」
試合 | 得点 | 打数 | 安打 | 出塁率 |
1993 | 1201 | 7772 | 2459 | .353 |
打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 四球 |
.316 | 27 | 598 | 67 | 420 |


ディマジオ3兄弟
ビンス・ディマジオ
1912年9月6日生まれ 右投右打 外野手
レッドソックスでデビュー。5チームに在籍した。
最多三振に6度。1番成績が良かった年はパイレーツ時代の1941年で、21本塁打、100打点。
試合 | 得点 | 打数 | 安打 | 出塁率 |
1110 | 491 | 3849 | 959 | .324 |
打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 四球 |
.249 | 125 | 584 | 79 | 412 |
ジョー・ディマジオ
1914年11月25日生まれ 右投右打 外野手
ペーブルース、ルーゲーリッグの引退後のニューヨークヤンキースで活躍!1941年に不滅といわれる56試合連続安打の大リーグ記録。首位打者、本塁打王、打点王を各2回獲得。
1951年には日米野球で来日し、フォークボールで有名な杉下茂からホームランを打っています。
現役を引退後、マリリンモンローと結婚し、新婚旅行に日本にきました。
試合 | 得点 | 打数 | 安打 | 出塁率 |
1736 | 1390 | 6821 | 2214 | .398 |
打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 四球 |
.325 | 361 | 1537 | 30 | 790 |
ドム・ディマジオ
1917年2月12日生まれ 右投右打 外野手
現役11年間をレッドソックス一筋。1950年131、1951年113で2年連続得点王。打率は11年間.283厘を下回ったことがなかった。1950年には15盗塁ながら盗塁王になっています。
試合 | 得点 | 打数 | 安打 | 出塁率 |
1399 | 1046 | 5640 | 1680 | .383 |
打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 四球 |
.298 | 87 | 618 | 100 | 750 |
アルー兄弟

フェリペ・アルー
1935年5月12日生まれ 右投右打 外野手 一塁手
ブレーブス時代の1966年に打率.327 122得点 218安打 355塁打 で得点、安打、塁打でリーグトップ。1992年にエクスポズでメジャーリーグ初のドミニカ共和国出身の監督になる。
試合 | 得点 | 打数 | 安打 | 出塁率 |
2082 | 985 | 7339 | 2101 | .328 |
打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 四球 |
.286 | 206 | 852 | 107 | 423 |
マティ・アルー
1938年12月22日生まれ 左投左打 外野手
1966年に打率.342の高打率で首位打者。4年連続で3割3分以上を記録。ジャイアンツ、パイレーツ、カージナルス、アスレチックス、ヤンキース、パドレスに在籍した。
試合 | 得点 | 打数 | 安打 | 出塁率 |
1667 | 780 | 5789 | 1777 | .345 |
打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 四球 |
.307 | 31 | 427 | 156 | 311 |
ニークロ兄弟

フィル・ニークロ
1939年4月1日生まれ 右投右打 投手
長い間アトランタブレーブスに在籍。実働24年の息の長い投手。30歳、35歳、40歳のときに20勝投手となる。サイヤング賞こそ受賞は無いものの、2桁勝利19回。40歳以降の121勝は大リーグ記録。ナックルボールを投げることで有名。
登板 | 先発 | 完投 | 勝利 | 敗戦 |
864 | 716 | 245 | 318 | 274 |
勝率 | 投球回 | 奪三振 | 完封 | 防御率 |
.537 | 5404.1 | 3342 | 45 | 3.35 |
ジョー・ニークロ
1944年11月7日生まれ 右投右打 投手
兄と同じくナックルボールを投げる。
1979、1980年に2年連続20勝。1979年は21勝して、兄と並んで最多勝投手となる。1987年にツインズに在籍し、ワールドシリーズ優勝を経験。
登板 | 先発 | 完投 | 勝利 | 敗戦 |
702 | 500 | 107 | 221 | 204 |
勝率 | 投球回 | 奪三振 | 完封 | 防御率 |
.520 | 3584 | 1747 | 29 | 3.59 |


マルティネス兄弟
ラモン・マルティネス
1968年3月22日生まれ 右投両打
主にドジャースで活躍。20歳の若さでメジャーデビュー。1990年に20勝。1995年にノーヒットノーラン達成。1996年に弟ペドロ・マルティネスとの兄弟対決を8回1失点で勝利する。
登板 | 先発 | 完投 | 勝利 | 敗戦 |
301 | 297 | 37 | 135 | 88 |
勝率 | 投球回 | 奪三振 | 完封 | 防御率 |
.605 | 1895.2 | 1427 | 20 | 3.67 |
ペドロ・マルティネス
1971年10月25日生まれ 右投右打 投手
サイヤング賞を3度受賞した大投手。レッドソックスが全盛期。
実働18年を殆ど先発投手として活躍し、2897.1イニングで通算防御率は2.93。1点台が2度。最優秀防御率のタイトルが5回。三振のとれるピッチャーで、投球回を上回る3154奪三振。8試合連続2桁奪三振を記録。
登板 | 先発 | 完投 | 勝利 | 敗戦 |
476 | 409 | 46 | 219 | 100 |
勝率 | 投球回 | 奪三振 | 完封 | 防御率 |
.687 | 2827.1 | 3154 | 17 | 2.93 |
どうでしょう?5組紹介してきましたが、「えっ?あの選手が兄弟だったの?」っていう人もいたかもしれませんね!(#^.^#)
もちろん、全てのの兄弟選手が活躍しているわけではありません。兄は活躍したけれど、弟はそれほどでもない、弟は活躍したけど、兄はそれほど活躍できなかった兄弟やケースも沢山あります。
今回は実績を残した兄弟のみをとりあげましたが、次回は親子で大リーガーなどもとりあげると楽しいと思うので、また機会がありましたら書こうと思います。ではこれからもよろしく!!(^.^)/~~~
[blogcard url=”https://fuku–blog.com/baseball-player-brothers”]