さて、前回巨人のクロマティ選手を取り上げました。クロマティは平成元年にセリーグのMVPになりました。では、その年のパリーグのMVPは誰でしょう?勿論この人しかいませんよね!(^ ^)
近鉄で豪快なホームランをかっ飛ばした、ラルフブライアント選手です。
この記事を読めば、ブライアント選手の伝説のホームランや経歴がよくわかります。
西武との天王山で伝説のホームラン4連発
ブライアント選手が有名なのは、豪快なホームランを沢山打ったからにちがいありません。その豪快なホームランの中でもファンの記憶に強烈にのこるのは、やはり近鉄がリーグ優勝した平成元年。西武ライオンズとの天王山のダブルヘッダーでしょう。
西武絶対有利の10月12日の第1試合で、西武が途中まで4-0のリード。しかし、ブライアントが満塁本塁打を含む3本塁打。チーム全6打点を叩き出して逆転勝ち。
第2試合も、1打席目敬遠のあとの2打席目に本塁打。前の試合から4打数連続本塁打。他の選手も打ちまくり14-4の大勝。
ブライアント自身もこの本塁打で優勝を確信。10月14日のダイエーに勝利して、見事リーグ優勝。この年は、1位近鉄から3位の西武まで0.5ゲーム差という大接戦でした。このように、勝利に貢献するホームランは、ファンの記憶にもとても残るものですね♬
ドジャースから中日入団。さらにシーズン途中で近鉄へトレード
ブライアント選手は、昭和63年にロサンゼルスドジャースから日本の中日ドラゴンズに入団しました。
ブライアントというと、中日より近鉄のイメージが強いですが、それもそのはず。中日では3人目の外国人選手として、1軍の試合には全くでていません。
当時は外国人選手枠というルールがあり、1軍でプレーできる外国人であるは2人迄でした。中日は既に、郭源治投手と、ゲーリー内野手が1軍で活躍していました。
近鉄でプレーしていたデービス選手が大麻不法所持により逮捕され退団。デービスの代わりを探していた近鉄が、昭和63年のシーズン途中に金銭トレードでブライアントを獲得したという経歴です。
中日から近鉄にトレードされてきたブライアントですが、その年わずか74試合の出場ながらなんと34本塁打を記録します。
もし、デービスが逮捕されずにそのまま近鉄でプレーしていたら、ブライアントの近鉄での大活躍は無かったはずです。本当に人生は何がきっかけになるかわかりませんね!(^ ^)

ラルフ・ブライアントの年度別打撃成績
打率 | 本塁打 | 打点 | 備考 | |
昭和63年 | .307 | 34 | 73 | |
平成元年 | .283 | 49 | 121 | MVP 本塁打王 |
平成2年 | .245 | 29 | 73 | |
平成3年 | .238 | 22 | 43 | |
平成4年 | .243 | 38 | 96 | |
平成5年 | .252 | 42 | 107 | 本塁打王 打点王 |
平成6年 | .293 | 35 | 106 | 本塁打王 |
平成7年 | .194 | 10 | 22 | |
合計 | .261 | 259 | 641 |
ラルフ・ブライアントの通算成績
身長 | 185cm | |
体重 | 94kg | |
利き腕 | 右投左打 | |
守備位置 | 外野手 | |
背番号 | 中日時代49 | 近鉄時代16 |
所属球団 | 中日ドラゴンズ | 近鉄バファローズ |
実働 | 8年 | |
試合 | 773 | |
打席 | 3335 | |
打数 | 2980 | |
安打 | 778 | |
二塁打 | 124 | |
三塁打 | 7 | |
本塁打 | 259 | 1年平均32本塁打 |
塁打 | 1693 | |
打点 | 641 | |
得点 | 512 | |
盗塁 | 23 | |
盗塁死 | 10 | |
四球 | 311 | |
三振 | 1186 | |
打率 | .261 | |
出塁率 | .336 | |
長打率 | .568 | |
最多安打 | 0回 | |
首位打者 | 0回 | |
本塁打王 | 3回 | 1989、1993、1994年 |
打点王 | 1回 | 1993年 |
MVP | 1回 | 1989年 |
ベストナイン賞 | 3回 | 外野手部門 1989年 指名打者部門 1993、1994年 |
ゴールデングラブ賞 | 0回 |
1試合3本塁打通算8回の固め打ち
近鉄での8年間で259本塁打を打ちました。1年平均32本になります。それだけではなく、1試合3本塁打を通算で8回も記録しました。これは大リーグにもない世界記録です。
近鉄がリーグ優勝した平成元年だけで4回も記録しました。年間、通算ともに世界記録です。
その反面、三振数も多く、通算773試合で1186三振。三振王になること5回。平成5年には年間204三振の日本ワースト記録もつくっています。
東京ドームのスピーカー直撃!初の認定ホームラン
他にエピソードとしては、平成2年6月6日に東京ドームで行われた対日本ハム戦。相手投手角から打った打球が、東京ドーム天井に吊り下げられている地上44メートルのスピーカーを直撃!
特別ルールが適用されて、史上初の認定ホームランになりました。東京ドームの天井は、コンピュータで当たらない設計にされていました。これもある意味伝説のホームランです。
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まとめ
〇ブライアント選手ははじめ中日ドラゴンズにいたが、昭和63年の途中で中日ドラゴンズに移籍した
〇ブライアント選手は、西武ライオンズとの首位攻防のダブルヘッダーで4打数連続ホームランを記録した
〇ブライアント選手は、1試合3本塁打をシーズン4回、通算8回の世界記録を持っている