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今月逝去! 南海ホークス 野村克也氏の成績  通算657本塁打

2月11日、元南海ホークスの捕手で、プロ野球ヤクルトや阪神の監督をつとめた野村克也氏が亡くなりました。27年間も現役で活躍し、通算657本塁打の他、数々の大記録を残した野村克也氏。ご冥福をお祈りするとともに、氏の功績を改めて振り返りたいと思います。

極貧の少年時代 高校時代

野村さんは昭和10年、6月29日にに京都府京丹後市に看護師だった母ふみさんから生まれました。家が貧しく、小学生のころには、新聞配達をして家計を助けていました。

貧乏な少年時代をおくったため、将来はお金持ちになりたいと、俳優や歌手を目指していました。しかし、赤バットの川上哲治や青バットの大下弘選手に憧れて次第にプロ野球選手を目指とすようになります。

高校は、京都府立峰山高等学校に進学。しかし、野球部はとにかく弱小チームで毎年のように1回戦で敗退するようなチーム。野村さん自身も2年生のとき、2回戦に進んだのが最高でした。

当時、高校生の野村さんは、授業中に先生に隠れてプロ野球の選手名鑑を読んで、どこのチームに入団したら自分がレギュラーになれるかと考えていたそうです。

因みに、峰山高校は平成11年の選抜大会で、甲子園初出場を決めています。(1回戦敗退)

小学生のころからアルバイトするなんて偉いね

無名のテスト生で南海ホークス入団

野村さんは当時は川上哲治選手が好きで巨人ファンでしたが、キャッチャーのレギュラーの年齢が高い南海に目をつけて南海ホークスの入団テストを受けます。

何とか合格しますが、南海はカベ(投手の球を受けるだけの選手のこと)として入団させたそうです。因みにテスト入団だったので契約金は0円でした。(^^;

あとでそのことを知り、がっかりした野村さん。事実、1年目が終わった後に球団からクビ(自由契約のこと)を宣告されます。しかし、必死で頭を下げて翌年以降の契約になんとかこぎつけました。

戦後初の3冠王 ホームランのタイトル独占 MVP5回の成績

さて、南海に入団した野村さんですが、持ち前の長打力とのちにID野球といわれる頭脳と練習量で見事キャッチャーのレギュラーポジションを獲得します。

砂を入れた一升瓶で手首や腕を鍛えたり、中百舌鳥球場で遠投をして肩を鍛えたり、毎日素振りをしました。野村氏本人も著書などで、自分はよく練習したと語っています。

打者としての特徴は、真っすぐを待っていて相手投手がカーブを投げてきたら中々打てないので、相手投手の配球を読んだり山を張ったりして打席に立ったそうです。

4年目の昭和32年に初の本塁打王を獲得すると、以後通算で首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回、昭和30年代〜40年代のパリーグのタイトルを独占します。

この時代のセリーグの主役が長嶋茂雄、王貞治選手ならパリーグの主役が野村克也とという感じです。

特に唯一の首位打者となった昭和40年、ライバルの阪急ブレーブスのスペンサーに勝ち、戦後初の3冠王に輝いています。(1号は巨人の中島治康選手)

在籍チームの南海ホークスもかなり強いチームで、名将鶴岡一人監督の元、毎年のように優勝を争い在籍中、7回のリーグ優勝、2度の日本一に輝いています。特に昭和48年は野村さん自身、監督であり捕手であり4番打者という重労働の立場でありながらのリーグ優勝でした!o(^-^)o

南海というチームにすごく貢献してるね!

ロッテ、西武 をへて45歳で燃え尽きて引退

さて、南海の退団された野村さんは引退をせずに現役にこだわり、ロッテオリオンズ、西武ライオンズをえて、45歳まで現役を続けました。

こう書くと何でもないように感じるかもですが、40歳を過ぎると中々身体もついてこないし、気力も落ちてくるので、この年齢まで現役を続行したのは特筆物だと思います。

以前何かのインタビューで「本当は50歳まで現役をやりたかった!」と話していました!

野村さんの記録で特筆するのは打てるキャッチャーということと、通算記録の高さです。
実働年数が26年と長いので殆どの部門でベスト10に入っています!(^ ^)

通算試合数 3017 は谷繁元信選手についで歴代2位
通算本塁打 657 は王貞治選手についで2位
通算打点も 1988 も王貞治手についで2位

特に捕手としての出場試合数2921試合は大リーグ記録のイバン・ロドリゲス選手の2427試合を500試合も上回っています。

野村克也氏の通算成績

実働 26年
試合 3017 歴代2位
打席 11970 日本記録
打数 10472 日本記録
安打 2901 歴代2位
二塁打 397
三塁打 23
本塁打 657 歴代2位 パリーグ1位
塁打 5315
打点 1988 歴代2位
得点 1509
盗塁 117
四球 1252
三振 1478
犠飛 113 日本記録
打率 .277
出塁率 .357
長打率 .508
最多安打 1回
首位打者 1回
本塁打王 9回 歴代2位
打点王 7回 歴代2位
MVP 5回
ベストナイン(捕手部門) 19回 日本記録

野村克也選手の年度別成績

年度 試合 安打 打率 本塁打 打点
昭和29 9 0 .000 0 0
昭和31 129 90 .252 7 54
昭和32 132 143 .302 30 94
昭和33 120 114 .253 21 79
昭和34 132 124 .263 21 78
昭和35 124 125 .291 29 88
昭和36 136 146 .296 29 89
昭和37 133 151 .309 44 104
昭和38 150 160 .291 52 135
昭和39 148 146 .262 41 115
昭和40 136 156 .320 42 110
昭和41 133 148 .312 34 97
昭和42 133 144 .305 35 100
昭和43 133 119 .260 38 99
昭和44 106 95 .245 22 52
昭和45 130 142 .295 42 114
昭和46 127 131 .281 29 83
昭和47 129 138 .292 35 101
昭和48 129 147 .309 28 96
昭和49 83 56 .211 12 45
昭和50 129 126 .266 28 92
昭和51 119 117 .273 10 57
昭和52 127 95 .213 16 58
昭和53 64 30 .226 3 12
昭和54 74 43 .222 5 22
昭和55 52 15 .217 4 14
合計 3017 2901 .277 657 1988

これだけ長い間第一線で活躍できたのは、やはり練習量や徹底した節制、考え続けた結果だと思います。それと、忘れてはいけないのは丈夫な体が合ったからだと思います。

残念ながらもう野村さんの声を聴くことはできませんが、氏が育てた選手たちや監督たちのこれからの活躍に期待したいと思います。