プロ野球選手

【通算536本塁打】ミスター赤ヘル山本浩二選手の成績 本塁打王4回

日本のプロ野球で1番ホームランを打ったのは勿論王貞治選手ですよね!(868本)

2番が南海ホークスで活躍したノムさんこと野村克也選手の657本。

3番が同じく南海ホークスで活躍した門田博光選手で567本です。

今あげた3人のうち、王さんと野村さんは高卒です。門田選手は社会人卒でプロ野球に入団しました。

それでは、大卒でプロ野球に入団して、1番ホームランを打った選手はわかりますか?

その選手こそ、今回紹介する山本浩二選手です!(^.^)/~~~

山本浩二選手は広島東洋カープ一筋で18年間プレーして、通算2339安打、通算536本塁打を記録しました。

同僚の衣笠祥雄選手とクリーンナップを打ち、ミスター赤ヘルと呼ばれました。

この記事を読むと、山本選手の活躍ぶりと成績がよくわかりますよ♪

法政大学で「法政三羽ガラス」の1人


山本選手は、昭和21年10月25日に広島県佐伯郡五日市町に生まれます。

子どもの頃は父親に連れられ、広島県営球場にでむき広島カープの試合を何度も観戦。

長谷川良平、小鶴誠、金山次郎らの選手のプレーをみて育ちます。

高校は広島県立廿日市高等学校に進学。エースで4番になります。

しかし、もう一歩のところで甲子園には出場できませんでした。

その後、法政大学に進学。2年生のとき、外野手にコンバートされます。

松永怜一監督に指導されて打撃が開花します。

田淵幸一、富田勝とともに「法政三羽ガラス」の異名をとります。法政大学の黄金時代をきづきました。

大学時代の成績は、65試合で229打数67安打、打率.293、8本塁打、30打点でした。

黄金ドラフト1位で広島東洋カープに入団

昭和43年に行われた第4回ドラフト会議で、ドラフト1位で広島東洋カープに指名され、念願の広島の選手になりました。

因みにこの年のドラフト会議は、田淵幸一、富田勝、山田久志、加藤英司、福本豊、有藤道世、星野仙一、金田留広など、プロ入り後大活躍する選手が沢山いて黄金ドラフトとよばれることになります。

山本選手は1年目からカープのレギュラーとして活躍し、規定打席に到達します。

面白いのは、1年目の昭和44年から初の3割打者なる昭和50年まで、少しづつですが毎年打率が上昇していることです。

努力型の選手といわれた山本選手ですが、毎年プロで経験をつんで成長していったことになります。

ホームランが初めて30本を超えたのも昭和50年です。

広島初優勝。初の首位打者とMVPを獲得

昭和50年は広島東洋カープにとっても、山本選手にとっても記念すべき年でした。

外国人監督のジョールーツが就任。途中辞任して古葉竹識コーチが監督に就任します。

中日と阪神との3チームの首位争いになりますが、10月15日の巨人戦に勝ち、球団創立25年目にしてついに初優勝を果たします。(*^-^*)

この優勝は赤ヘル旋風とよばれました。(日本シリーズは、阪急ブレーブス相手に4敗2分で敗戦)

山本選手自身も.319を打ち、7年目にして初の3割と首位打者を獲得。MVPにも選出されました。

因みに、この年の甲子園のオールスターゲーム第1戦では、衣笠祥雄選手とともに1試合2本塁打を記録しました。

30代で全盛期。広島の3回の日本一に大貢献

さて、初の首位打者を獲得した山本選手ですが、30歳を超えてから全盛期をむかえます。

昭和52年から5年連続の40本塁打。

この記録は、80年の歴史のあるプロ野球でも、王貞治選手とこの山本選手2人しか達成していません。

同じく昭和52年から5年連続100打点。

本塁打王4回に打点王も3回獲得。

プロ野球は今まで沢山の大打者をうんできましたが、これ程大器晩成の選手も珍しいです。

勿論、昭和54.55年の広島の2年連続日本一に大貢献。

昭和59年オフには、当時球界最高年俸の8500万円で契約しました。

4番として通算536本塁打

山本選手は、昭和61年を最後に引退しました。

通算536本塁打は、大学出身の選手としては歴代最多で、同じ大卒のミスタープロ野球こと長嶋茂雄選手の444本も大きく上まわっています。

さらに、新人の年から18年連続して規定打席に到達。17年連続100安打以上。

最後の年も打率.276で27本塁打と活躍して、広島のリーグ優勝に貢献しました。

引退した年の昭和61年も27ホームランを打ってるのは凄いニャー!
そうだね。因みに、王貞治選手も引退した年の昭和55年に30ホームラン打っているよ!

さらに、同僚のライバル、衣笠祥雄選手とのアベックホームランは通算86本で、長嶋茂雄、王貞治選手の106回に次ぐ記録になっています。

山本浩二選手の年度別打撃成績

年度 試合 安打 打率 本塁打 打点
昭和44 120 88 .240 12 40
昭和45 128 112 .243 22 56
昭和46 123 108 .251 10 52
昭和47 130 125 .258 25 66
昭和48 126 21 .269 19 46
昭和49 127 131 .275 28 74
昭和50 130 144 .319 30 84
昭和51 129 136 .293 23 62
昭和52 130 138 .308 44 113
昭和53 130 153 .323 44 112
昭和54 130 137 ..293 42 113
昭和55 130 148 .336 44 112
昭和56 130 156 .330 43 103
昭和57 130 137 ..306 30 90
昭和58 129 146 .316 36 101
昭和59 123 128 .293 33 94
昭和60 113 110 .288 24 79
昭和61 126 121 .276 27 78
合計 2284 2339 .290 536 1475

山本浩二選手の通算成績

身長 183cm
体重 82kg
利き腕 右投げ右打ち
守備位置 外野手
背番号 27・8
所属球団 広島東洋カープ
実働 18年 18年全て規定打席到達
試合 2284
打席 9409
打数 8052
安打 2339 歴代14位
二塁打 372
三塁打 21
本塁打 536 歴代4位
塁打 4361 歴代8位
打点 1475 歴代10位
得点 1365 歴代7位
盗塁 231
盗塁死 119
四球 1168
三振 1123
打率 .290
出塁率 .381
長打率 .542
最多安打 0回
首位打者 1回 昭和50年
本塁打王 4回 昭和53、55、56、58年
打点王 3回 昭和54、55、56年
MVP 2回 昭和50、55年
ベストナイン賞 10回
ダイヤモンドグラブ賞 10回 外野手部門