さて、前回阪急の300勝投手米田投手をとりあげました。昭和30年代の右のエースが米田投手なら、左のエースはこの人しかいません。今回は、阪急一筋に通算254勝をあげた梶本隆夫投手をとりあげます。
日本記録の9者連続奪三振と3者3球三振

南海ホークス戦の9連続奪三振
まず結論からいうと、梶本投手は引退まで最多勝や防御率のタイトルをとれませんでした。しかし、梶本投手は日本記録を2つもっています。
1つ目が、昭和32年7月23日に南海ホークス戦で記録した9連続奪三振です。9連続奪三振とは、9人の打者を安打や四死球を挟まずに、連続して三振をとることです。
通算4490奪三振の金田正一投手でも記録してないことを考えると、この記録は梶本投手の自慢の記録と言っていいと思います。(ただ、梶本さんは自慢するような性格ではないけれど)
因みに、10人目の打者にセンターフライを打たれて記録はストップしましたが、この選手は投手の皆川さんでした。
3者連続3球三振を2度記録
2つ目が、3者連続3球三振という記録です。昭和29年7月10日の近鉄パールス戦と昭和32年10月18日の南海ホークス戦と2度やっています。
これは、どういうことかというと、野球は1イニング3つのアウトをとると味方チームの攻撃にうつります。その3つのアウトを全てストライク(ボール球を挟まずに)で、9球、つまり3人三振の最少投球数で終えることです。(2ストライクまでのファールはストライクにカウントされるので間に挟んでもよい)
過去梶本投手を含めて18人が達成していますが、2度記録したのは梶本投手だけです。
阪急ブレーブスに入団。高卒新人で20勝、左のエースに
梶本さんは昭和10年4月8日に山梨県甲府市に生まれます。(岐阜県多治見市出身)
多治見工業高校卒業後、昭和29年に阪急ブレーブスに契約金50万円で入団します。他に、巨人、中日からも誘われましたが1番契約金が低かった阪急を選びました。
理由は「高いお金を貰ってダメだったら申し訳ない」とのことです。
新人ながらいかなり西村正夫監督に開幕投手に指名され、見事プロ入り初勝利を記録します。
以後順調に勝星を重ねて結局高卒新人ながら20勝を達成します。(12敗)しかし、不運なことにこの年は、南海ホークスの高卒新人の宅和投手も活躍して26勝し、新人王は宅和投手が受賞しました。
もし、宅和投手がいなければ、間違いなく梶本投手が受賞していたでしょう。令和2年の現在まで、新人で20勝した投手は2リーグ制後17人いますが、新人王を逃したのは梶本投手1人だけです。
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梶本隆夫投手の年度別成績
年度 | 勝利 | 敗戦 | 投球回 | 奪三振 | 防御率 |
S.29 | 20 | 12 | 309.1 | 228 | 2.73 |
S.30 | 18 | 14 | 273.1 | 222 | 2.86 |
S.31 | 28 | 17 | 364.1 | 327 | 2.25 |
S.32 | 24 | 16 | 337.1 | 301 | 1.92 |
S.33 | 16 | 18 | 265 | 186 | 2.99 |
S.34 | 11 | 17 | 199.1 | 136 | 3.25 |
S.35 | 21 | 18 | 297.2 | 171 | 2.54 |
S.36 | 17 | 23 | 269.2 | 141 | 2.80 |
S.37 | 14 | 15 | 235.2 | 154 | 3.28 |
S.38 | 9 | 17 | 180.1 | 107 | 4.34 |
S.39 | 9 | 13 | 231.2 | 142 | 3.34 |
S.40 | 5 | 11 | 177.1 | 137 | 3.60 |
S.41 | 2 | 15 | 141.2 | 112 | 3.68 |
S.42 | 15 | 9 | 188.1 | 136 | 2.44 |
S43 | 12 | 8 | 221.1 | 175 | 2.97 |
S.44 | 18 | 10 | 187.2 | 93 | 2.97 |
S.45 | 4 | 9 | 103.1 | 56 | 4.79 |
S.46 | 6 | 8 | 136 | 74 | 3.44 |
S.47 | 2 | 5 | 69 | 35 | 3.65 |
S.48 | 3 | 0 | 19.2 | 12 | 6.41 |
合計 | 254 | 255 | 4208 | 2945 | 2.98 |
通算254勝255敗で1つ負け越し
梶本投手はその後も28勝をあげた昭和31年にも29勝した三浦投手に最多勝をとられたり、(結局最後まで最多勝、防御率のタイトルは未受賞)200勝投手の中で唯一の負け越し投手になるなど、今ひとつツキがなかったような野球人生でした。
しかし、本人曰く、「勝てなくても内容のいい投球ができたら満足だった」「巨人に入団していたら今の自分はなかった」とも語っており、自分の野球人生には満足していたようです。