さて、前回の記事で、ミスター赤ヘルこと山本浩二選手を紹介しました。
今回は、その山本浩二選手と並び、広島東洋カープの主力選手で、2215試合連続出場の日本記録をもつ、衣笠祥雄選手を紹介します。
衣笠選手は、昭和62年に、大リーグ記録のルーゲーリッグ選手の2130試合連続出場記録を破り、2131試合連続出場の世界記録を達成しました。(当時)
今では、カルリプケン・ジュニア選手に破られましたが、衣笠選手の連続出場記録は日本記録として残っています。(カルリプケン・ジュニア選手はオリオールズで2632試合連続出場)
さらに、衣笠選手は打者としても通算2543安打、通算504本塁打と、通算記録でも上位の記録を残しています。
この記録を読むと、衣笠選手の連続出場記録の詳細や成績がよくわかりますよ♬(o^^o)
同僚で主砲として活躍した山本浩二選手の記事は↓です。(*^-^*)
[blogcard url=”https://fuku–blog.com/koji-yamamoto-record/”]
平安高で捕手として活躍
衣笠選手は、昭和22年、1月18日に京都で生まれます。父親はアフリカ系アメリカ人、母親は日本人のハーフでした。
高校は平安高校に進学。3年生のときに、捕手として昭和39年の春と夏の甲子園に出場します。
春は準々決勝まで勝ち進みますが、土佐高に惜敗。夏も同じく準々決勝でこの大会優勝した高知高に敗戦。優勝はなりませんでした。
広島カープに入団。【鉄人】のニックネーム

昭和40年に広島カープに入団します。
捕手として6試合に出場しますが、白石勝巳監督の方針で一塁手に転向。
昭和43年には初の規定打席に到達し、打率.276、109安打、21本塁打を記録。
以後、引退する昭和62年までレギュラーとして活躍します。
10月19日の巨人戦から連続試合出場の記録がスタート。
因みに、衣笠選手のニックネームの【鉄人】ですが、昭和49年まで背番号28番をつけていたので、横山光輝の漫画「鉄人28号」がきっかけでつきました。
1247試合連続出場の日本記録達成
前回の山本浩二選手の記事にも書きましたが、広島東洋カープは昭和50年に、ルーツ監督の後任の古葉竹識監督のもとで初優勝。(日本シリーズは阪急ブレーブスに敗戦)
衣笠選手も打率.276 、21本塁打、71打点をあげて優勝に貢献しました。
広島東洋カープは、昭和54、55年、59年にも古葉竹意識監督のもとリーグ優勝し3度の日本一。


衣笠選手自身も昭和55年の8月2日の巨人戦で、飯田徳治選手のもつ1246試合連続出場を抜き、1247試合連続出場の日本新記録を達成。
昭和59年には37歳にして自身23年のプロ野球生活唯一の3割(.329)を打ち、102打点で打点王も獲得。MVPも受賞しました。
ルーゲーリッグを抜き、2131試合連続出場の世界記録達成
さて、プロ入り4年目から続けてきた連続出場記録ですが、昭和62年に、ルーゲーリッグの2130試合連続出場の世界記録にあと45試合に迫り、開幕を迎えます。
開幕戦を4打数3安打と好スタート。
6月11日の大洋ホエールズ戦でゲーリッグの記録(当時)に並ぶと、6月13日の広島市民球場の中日ドラゴンズ戦でついに2131試合の世界記録を達成。最終的に出場記録は2215試合までのびることになります。
この試合で衣笠選手は、小松辰雄投手からホームランを打っています。
6月22日には、王貞治選手についで、プロ野球選手2人目の国民栄誉賞を授与されました
達成日 | 連続試合 | 備考 |
昭和55年8月2日 | 1247試合連続出場 | 飯田徳治選手の日本記録を破る |
昭和61年6月7日 | 2000試合連続出場 | |
昭和62年6月13日 | 2131試合連続出場 | ゲーリッグの世界記録(当時)を破る |
昭和62年10月22日 | 2215試合連続出場 | 最後の年も全試合に出場して引退 |
打者としての衣笠祥雄選手の特徴

さて、連続試合出場記録で有名な衣笠選手ですが、打率はそれ程高くないですが、打者としても超一流の成績を残しています。
実働23年で、打席は1万打席を超える10634打席。9404打数、2543安打。100安打以上17回。
常にフルスイングで、30本塁打以上5回を含む20本塁打以上16回。通算504本塁打。
特筆すべきは、死球が10以上の年が8回もあり、通算161個もありながら、試合に出場し続けたことです。(^。^)
しかも、デッドボールを食らっても、相手投手に逆に気を使うなど、マナーもよい選出でした。
あとは、長距離打者でありながら、昭和51年に31盗塁で盗塁王にもなっています。
衣笠祥雄選手の年度別打撃成績
年度 | 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 |
昭和40 | 28 | 7 | .159 | 1 | 2 |
昭和41 | 32 | 5 | .147 | 0 | 2 |
昭和42 | 28 | 12 | .250 | 2 | 5 |
昭和43 | 127 | 109 | .276 | 21 | 58 |
昭和44 | 126 | 107 | .250 | 15 | 46 |
昭和45 | 126 | 102 | .251 | 19 | 57 |
昭和46 | 130 | 131 | .285 | 27 | 82 |
昭和47 | 130 | 147 | .295 | 29 | 99 |
昭和48 | 130 | 94 | .207 | 19 | 53 |
昭和49 | 130 | 119 | .253 | 32 | 86 |
昭和50 | 130 | 132 | .276 | 21 | 71 |
昭和51 | 130 | 156 | .299 | 26 | 69 |
昭和52 | 130 | 136 | .265 | 25 | 67 |
昭和53 | 130 | 123 | .267 | 30 | 87 |
昭和54 | 130 | 114 | .278 | 20 | 57 |
昭和55 | 130 | 144 | .294 | 31 | 85 |
昭和56 | 130 | 134 | .271 | 30 | 72 |
昭和57 | 130 | 135 | .280 | 29 | 74 |
昭和58 | 130 | 145 | .292 | 27 | 84 |
昭和59 | 130 | 161 | .329 | 31 | 102 |
昭和60 | 130 | 140 | .292 | 28 | 83 |
昭和61 | 130 | 98 | .205 | 24 | 59 |
昭和62 | 130 | 92 | .249 | 17 | 48 |
合計 | 2677 | 2543 | .270 | 504 | 1448 |
衣笠祥雄選手の通算成績
身長 | 175cm | |
体重 | 73kg | |
利き腕 | 右投げ右打ち | |
守備位置 | 三塁手 | 一塁手、捕手 |
背番号 | 28・3 | |
所属球団 | 広島カープ | 広島東洋カープ |
実働 | 23年 | |
試合 | 2677 | 歴代5位 |
打席 | 10634 | 歴代4位 |
打数 | 9404 | 歴代3位、セリーグ記録 |
安打 | 2543 | 福本豊と並び歴代5位 |
二塁打 | 373 | |
三塁打 | 23 | |
本塁打 | 504 | 張本勲と並び歴代7位 |
塁打 | 4474 | 歴代6位 |
打点 | 1448 | 歴代11位 |
得点 | 1372 | 歴代6位 |
盗塁 | 266 | |
盗塁死 | 130 | |
四球 | 931 | |
三振 | 1587 | 歴代10位 |
打率 | .270 | |
出塁率 | .345 | |
長打率 | .476 | |
最多安打 | 1回 | |
首位打者 | 0回 | |
本塁打王 | 0回 | |
打点王 | 1回 | 昭和59年 |
盗塁王 | 1回 | 昭和51年 |
正力松太郎賞 | 1回 | 昭和59年 |
MVP | 1回 | 昭和59年 |
ベストナイン賞 | 3回 | 昭和50,55,59年 |
ゴールデングラブ賞 | 3回 | 昭和55、59、61年 |