プロ野球選手

【初打席満塁本塁打】駒田徳広選手の成績 ゴールデングラブ賞10回

さて、突然ですが、プロ野球選手は様々なデビューの仕方がありますよね。

期待されて入団して、いきなり開幕戦でデビューした選手。

打撃が良く代打でデビューした選手。

守備がうまく守備固めでデビューした選手。

足の速さに定評があり、代走でデビューた選手。

投手なら先発デビューしたり、中継ぎ、抑え、あるいは敗戦処理でデビューした選手。

実に色々なデビューの仕方がありますが、その中でもプロ入り初打席を満塁ホームランで飾った選手がいます

その選手こそ、今回紹介する駒田徳広選手です。

駒田選手は、巨人と横浜ベイスターズでプレーして、3割打者に5回。通算2006安打を記録しました。

満塁の場面に強く、【満塁男】とよばれました。

この記事を読むと、駒田選手の成績がよくわかりますよ♬(^ ^)

同時代に活躍した原辰徳選手の記事は↓
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ドラフト2位で読売ジャイアンツに入団

駒田選手は、本来は右打者だったのを中学2年時に左打者に転向します。

高校は、奈良県立桜井商業高等学校に進学。

体格も中学時代よりかなり大きくなり、エースで4番として活躍します。

高校時代の本塁打は43本、通算打率は.490。

しかし、のちに2000本安打を達成する駒田選手ですが、プロ野球、巨人からドラフト指名されたのは投手としてでした。

駒田選手がトリオ指名された昭和55年のドラフト会議は、1位指名は王貞治のあとに巨人の4番打者になる東海大の原辰徳、駒田選手は2位指名です。

投手として入団するのですが、投手としては限界がみえていたのか、駒田本人から藤田元司監督に打者転向を直訴し、了承されます。

初打席満塁ホームランの衝撃デビュー

1年目、2年目は1軍の出場はなく、3年目の昭和58年4月10日の開幕第2戦目の大洋戦。

試合前の練習で怪我をした中畑清選手に変わり7番一塁手で先発出場します。

満塁で回ってきたプロ入り初打席に、大洋の右田一彦投手から何と右翼席に満塁ホームランを打ちました

プロ入り初打席でホームランを打った選手はその時(昭和58年4月9日)まで15人いましたが、満塁ホームランは駒田選手が初めてです。

というより、駒田選手以外で初打席に満塁ホームランを打ったのは、他には平成7年のダイエーホークスの外国人選手、ケビン・ミッチェルだけ。

ミッチェルは外国人選手なので日本人選手では駒田選手だけになります

さらにいえば、ミッチェル選手は日本に来日する前に大リーグでデビューして活躍していたので、純粋な初打席はやはり駒田選手だけになります。

巨人の逆転日本一に貢献。シリーズMVPを受賞

その後、昭和62年にレギュラーの座を獲得し、翌年初めて規定打席に到達し、3割打者になります。

平成4年までに5年間で4度の3割を打ち、完全にレギュラーとして活躍します。

特に、平成元年の近鉄バファローズとの日本シリーズは今でも語り草です

巨人は初戦から3連敗をして追い込まれてしまいます。

しかも、ヒーローインタビューで、近鉄某投手の「シーズン中の相手のほうが強かったからしんどかった。」発言もあり完全に流れは近鉄バファローズでした。

しかし、第4戦で香田勲男が完封勝利をしてから状況は一変。

3連勝して3勝3敗のタイに持ちこみます。

藤井寺球場の第7戦。1回の表に駒田は先制のホームランを打つのですが、そのときに近鉄投手に

捨てゼリフを穿いてやり返しました。٩( ᐛ )و

このシリーズは結局巨人が3連敗から4連勝して日本一になり、駒田選手も打率.522を打ちMVPを受賞しました。

これは蛇足ですが、僕が巨人を応援するようになってから初めての日本一だったので、このシーズンは思い入れが強いです!(o^^o)

3連敗から4連勝は記録を調べたら日本シリーズは過去3回あるニャー!

意外にもアメリカのワールドシリーズは1回もないニャー!
(2020年終了まで116回開催されて1度も無し)

野球は一つのプレーで流れががらりと変わったりするスポーツ!リップサービスもほどほどにしないと相手を怒らせちゃうよ!

平成元年のシリーズで、対戦した近鉄バファローズのブライアント選手の記事は↓だよ!
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駒田選手のタイトルや守備

駒田選手は通算で2006安打を記録しています。

打撃3部門(首位打者、本塁打王、打点王)こそノンタイトルです

しかし、守備の巧さにかけては定評があり、一塁手として歴代最多の10度のゴールデングラブ賞を受賞しています。

特に、駒田選手は191㎝の長身で手足も長いので、多少の送球のブレにも対応でき、内野手は一塁手の駒田選手には送球しやすかったと思います。

他にタイトルは平成10年に横浜ベイスターズが日本一になった年に、生涯唯一のベストナインを受賞しています。(一塁手部門)

【満塁男】駒田徳広選手の満塁での成績

初打席を満塁ホームランで飾った駒田選手ですが、その後も満塁の場面で好成績を残しました。

通算220打数73安打。打率.332。200打点。

通算満塁ホームランも6年連続を含む13本。

巨人時代に5本。横浜時代に8本。

6年連続というのは6年間連続して最低1本以上記録したという意味です。

6年連続はあのイチローと並ぶ日本記録で、通算満塁ホームラン13本は歴代5位タイです。

特筆すべきは、満塁ホームランを打った試合は全てチームは勝利しています!(^.^)/~~~

FAで横浜に移籍 2000本安打達成

平成5年に巨人は藤田元司監督に代わり長嶋茂雄さんが監督に就任します。

駒田は、この年打撃不振に落ち入り、さらに打撃コーチの中畑清コーチや長嶋監督との確執から首脳陣とうまくいってませんでした。

オフにフリーエージェント制度を行使して、横浜ベイスターズに移籍します。

横浜ベイスターズでは、ブラッグス、ローズ、鈴木尚典らとクリーンナップを打ちます。

平成10年には、打率.281、9本塁打ながら81打点をあげて横浜のリーグ優勝と日本一に貢献しました。

その後、平成12年に2000本安打を達成して名球界のメンバーになりました。

駒田選手は、191㎝の大柄な体格ですが、記録からみると中距離打者で、毎年打率.280〜.300を安定して残すタイプの打者でした。

爆発的に打ちまくるということがないかわりにシーズンが終わってみると悪くない成績を毎年のこしました。

時々完全なボール球にも手を出してヒットにしたかと思うと、見逃し三振であっさりとベンチにかえってきたり、かなり個性的な感じがします。

しかし、名選手の1人には間違いありません。

これからの駒田徳広氏にも注目ですね!(^.^)/~~~



駒田徳広の年度別打撃成績

年度 試合 安打 打率 本塁打 打点
昭和58 86 52 .286 12 47
昭和59 79 20 .238 2 11
昭和60 92 38 .252 3 20
昭和61 64 26 .257 3 18
昭和62 113 95 .287 15 40
昭和63 116 112 .307 11 40
平成1 126 125 .303 11 56
平成2 130 135 .287 22 83
平成3 130 160 .314 19 66
平成4 130 155 .307 27 64
平成5 122 109 .249 7 39
平成6 130 149 .284 13 68
平成7 130 144 .289 6 66
平成8 130 145 .299 10 63
平成9 135 156 .308 12 86
平成10 136 155 .281 9 81
平成11 129 151 .291 9 71
平成12 85 79 .258 4 34
合計 2063 2006 .289 195 953

駒田徳広の通算成績

身長 191cm
体重 90kg
利き腕 左投げ左打ち
守備位置 一塁手・外野手
背番号 50 昭和63年から10番
所属球団 読売ジャイアンツ 平成6年から横浜ベイスターズ
実働 18年 プロ生活は20年
試合 2063
打席 7598
打数 6941
安打 2006
二塁打 357
三塁打 27
本塁打 195 満塁本塁打は通算13本、歴代5位タイ
塁打 3002
打点 953
得点 810
盗塁 35
盗塁死 35
四球 563
三振 1113
打率 .289
出塁率 .342
長打率 .433
最多安打 0回
首位打者 0回
本塁打王 0回
打点王 0回
MVP 0回 平成元年に日本シリーズMVP
ベストナイン賞 1回 平成10年
ゴールデングラブ賞 10回 平成1~3年、平成5~11年
一塁手部門最多回数