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【20世紀最後の完全試合達成】槙原寛己投手の成績 通算2111奪三振

8月6日の記事で日本プロ野球史上初の完全試合を達成した巨人藤本英雄投手を紹介しましたよね。(^ ^)

実は、巨人の歴史でもう1人完全試合を達成した投手がいます。

誰だと思いますか?

答えは、巨人最多の221勝を挙げた別所毅彦投手でもなく、昭和40年から9連覇したときのエース堀内恒夫投手でもありません。

その投手は、斎藤雅樹、桑田真澄と並んで巨人3本柱と呼ばれた投手の1人、槙原寛己投手です!

槙原投手は、平成6年に福岡ドームで、20世紀最後の完全試合を達成しました。

槙原投手が達成してから完全試合を達成した投手は現れていないので、現在まで最後の完全試合を達成した投手になります。

槙原投手は、愛知県立大府高等学校から昭和56年の第17回のドラフト1位で巨人に入団し、巨人一筋で通算159勝をあげました

改めて槙原寛己投手の野球人生を振り返ります。

◎史上初の完全試合を達成した藤本英雄投手の記事はこちらから!

この記事を読むとわかること

槙原寛己投手の完全試合の詳細

槙原寛己投手の巨人入団から巨人での活躍

槙原寛己投手の特徴

槙原寛己投手の年度別投手成績

槙原寛己投手の通算成績

福岡ドームで20世紀最後の完全試合達成

まずは完全試合からいきます。

槙原寛己投手が完全試合を達成したのは平成6年5月18日の対広島東洋カープ戦。

球場は福岡ドーム球場で、この試合は巨人軍の通算7000試合目という記念すべき日でした。

完全試合というのは、1回から9回まで1人のランナーを出さずに得点も0点に抑えれば成立します。

フォアボールやデッドボールを与えてもランナーを出すことになるのでダメです。

さらに、味方野手のエラーがあっても不成立なので、野手も一瞬たりとも気がぬけません。

完全試合達成日 平成6年 5月18日
球場名 福岡ドーム球場
対戦相手 広島東洋カープ
試合時間 2時間14分
スコア 6-0
投球数 102球
奪三振 7奪三振

 

槙原投手は前日、福岡遠征で、夜の街を飲み歩いていたそうです。

この完全試合で特筆するのは、過去の完全試合は、相手打者にいい当たりをされたものの、見方のファインプレーに助けられたという場面が必ずあったのですが、

そういうことはなく、辛口評論家の豊田泰光氏も「完全試合中の完全試合」と珍しく褒めていました。

因みに、豊田泰光氏も、現役時代に見方投手の西村貞朗投手の完全試合にたちあっています

この時は、花井悠選手のファインプレーがあって達成出来たということです。

冒頭にも書きましたが、槙原寛己の完全試合は20世紀最後、平成唯一の完全試合です。

槙原投手の前の完全試合は、昭和53年8月31日の阪急ブレーブス、今井雄太郎投手以来で、実に16年ぶり、史上15人目の完全試合達成でした。

平成唯一の完全試合とは覚えやすいニャー!
そうだね。因みにドーム球場では初の達成!
人工芝で達成も槙原投手1人だけだよ!

甲子園でバックスクリーンに3被弾

槙原投手が印象的な場面に、昭和60年の阪神戦があげられます。

このシーズン、阪神は外国人選手のランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布など打線がよく打ち、日本一になったのですが、

4月17日の甲子園の巨人戦で、前述の3人が続けてセンターオーバーのホームランを打ちました。

その3連続ホームランを打たれたのが槙原投手でした。

昭和58年に12勝9敗で新人王を受賞

槙原投手は、昭和56年のドラフト会議で1位指名されて愛知県立大府高等学校から巨人に入団します。

槙原投手は1年目の昭和57年は、2軍で体力つくりに専念します。

初登板は2年目の昭和58年4月16日の阪神戦。

延長10回を5安打9奪三振で、見事初登板を完封勝利でかざりました。(o^^o)

因みに当時の槙原投手は、ストレートが急速155キロを記録したこともあり、速球派投手でした。

以後は、巨人の主力選手として活躍します。

2桁勝利が9回。2桁奪三振が12回。

同時期に活躍した斎藤雅樹、桑田真澄と比べるとタイトルこそ新人王と奪三振王が1回と少ないですが、間違いなく巨人の主力投手として活躍しました。

通算の防御率も、平成元年の1.79を最高に、2485投球回を投げて3.19と中々のものです。

通算2111奪三振はチーム記録

槙原投手は、意外に思われるかもしれませんが、年間で13勝したのが自己最高です。

チームメイトの斉藤雅樹は20勝を2回、桑田真澄も最高で17勝をしたのに比べるとちょっと見劣りします。

結構怪我をしたり、好投しても打線の援護がなかったり、例えば防御率2.16を記録した昭和63年も10勝13敗で3つも、負け越しています。

普通、先発ピッチャーは年間をとおして、防御率が2点台だと、勝ち越しているのが普通です。(絶対ではないが)

2点台前半の防御率で負け越しとなるとけっこう珍しいです。

しかし、前述の完全試合の他に、プロ入り初登板で、完封勝利を記録したり、

甲子園球場で阪神のバース、掛布、岡田にバックスクリーンに3連発を打たれたり、

平成6年の西武ライオンズとの日本シリーズでは、2完投勝利、防御率0.50でMVPを受賞するなど、何かと節目で目立った投手でした。

通算の2111奪三振は巨人のチーム記録で、歴代でも16位。奪三振率も7.65と高いです。

槙原寛己投手の年度別投手成績

年度 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
昭和58 12 9 184 124 3.67
昭和59 8 9 145.2 114 4.70
昭和60 4 7 92.1 57 4.00
昭和61 9 6 114 125 2.29
昭和62 10 6 140.1 132 3.40
昭和63 10 13 208.2 187 2.16
平成1 12 4 150.2 141 1.79
平成2 9 5 102.1 87 3.96
平成3 9 12 186 152 3.39
平成4 12 13 196 159 3.58
平成5 13 5 173.2 175 2.28
平成6 12 8 185 153 2.82
平成7 11 8 190.2 145 2.88
平成8 6 6 122.1 92 4.12
平成9 12 9 150.2 115 3.46
平成10 6 4 81.1 77 3.98
平成11 4 3 41.1 55 2.83
平成12 0 1 19.2 20 4.12
平成13 0 0 0.1 1 0.00
合計 159 128 2485 2111 3.19

 

槙原寛己投手の通算成績

身長 187cm
体重 94kg
利き腕 右投げ右打ち
守備位置 投手
背番号 54、17
所属球団 巨人
実働 19年 プロ生活20年
登板 463
先発 334
完投 113
完封 35
無四球 9
勝利 159
敗戦 128
勝率 .554
投球回 2485
与四球 773
奪三振 2111 歴代16位、巨人のチーム記録
防御率 3.19
最多勝 0回
最優秀防御率 0回
最多奪三振 1回 昭和63年
最高勝率 0回
新人王 受賞 昭和58年
MVP 0回
沢村賞 0回
ベストナイン 0回
ゴールデングラブ賞 0回