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【パ・リーグ初代MVPを受賞】強打者、別当薫選手の成績

さて、9月8日の記事で、藤村富美男選手を紹介しました。その記事で、藤村さんが物干し竿バットを使うことになったきっかけが、別当薫選手だと書きました。

藤村選手ほどの選手が負けたくなかった別当薫選手とはいったいどんな選手だったのでしょうか?

今回は、戦後、大阪タイガースと毎日オリオンズで強打者として活躍し、引退後も長期に監督を務めた別当薫選手の紹介です。

この記事を読んでわかること

○別当薫選手の経歴、高校、大学、社会人時代の詳細

○大阪タイガースに在籍した2年間の詳細

○毎日オリオンズでの活躍と達成した記録

○別当薫氏の監督としての成績と特徴

甲陽中学でエースとして甲子園に出場。慶大でも史上最高打率で首位打者に

別当さんは、大正9年8月13日に生まれました。実家は材木商です。

甲陽中学校時代はエースで4番。昭和12年~13年春、昭和13年夏と甲子園に出場します。

その後、慶應義塾大学に進学。東京六大学リーグ通算35試合で133打数47安打、打率.353の1本塁打。昭和17年の春季リーグで、史上最高打率(当時)の.500を記録し、首位打者になります。

昭和18年10月16日に行われた出陣学徒壮行早慶戦(最後の早慶戦)に、慶大の4番中堅手として出場。昭和21年春には、再開した東京六大学の戦後初優勝に主将として貢献します。

同年秋に慶大を繰り上げ卒業後一旦は家業を継ぎますが、昭和22年にノンプロチーム「全大阪」の一員として出場した都市対抗野球で優勝を逃がしたことからプロ入りを決意します。

中学時代からタイガースの景浦將のファンだったので大阪タイガースに入団することになります。

全大阪から大阪タイガースに入団

オープン戦からいきなり本領を発揮して、8試合で7本塁打の固め打ち。

シーズンに入ってからも好調で、シーズン途中まで打率トップでした。しかし、盗塁で滑り込む際に左足を骨折し3ヶ月戦列を離れます。

後半戦復帰するも規定打席に足りずに首位打者を逃してしまいました。(この年の首位打者は巨人青田昇の.308。別当は規定打席に52不足の.328)

翌昭和24年も絶好調で、フル出場し、
打率.322    39本塁打 126打点。

同僚のライバル藤村富美男が物干し竿バットを使用し 
打率.332   46本塁打 142打点 
の別当を上回る成績でした。

因みに昭和24年のタイガースは、別当の他にも藤村富美男、土井垣武、金田正泰、後藤次男、も好調で3割打者を5人も揃えましたが、投手陣が不調で8チーム中6位の成績でした。

このころのタイガースの打線はダイナマイト打線と呼ばれ、スター選手がゴロゴロいたんだよ。
3割打者が5人いながら6位はもったいないニャー!

[blogcard url=”https://fuku–blog.com/fumio-fujimura-record/”]

パリーグ初のMVP!プロ野球初のトリプルスリー達成!チームも日本一に

さて、昭和24年のオフに毎日オリオンズから阪神タイガースの選手の引き抜きがあり、
今回紹介している別当選手や、土井垣武捕手、呉昌征外野手などがゴッソリ毎日オリオンズに引き抜かれました。
毎日オリオンズに引き抜かれた別当選手ですが、パリーグでも活躍することになります。

打率.335  43本塁打 105打点をあげて、見事パリーグ初の最高殊勲選手(MVP)に輝きました。(*^-^*)

チームもリーグ優勝し、日本シリーズでもセリーグの覇者、松竹ロビンスを4勝2敗で破り、見事2リーグ制初年度の日本一になりました。
(別当選手は日本シリーズでもMVPを受賞)

さて、この昭和25年には貴重な記録も生まれています。この別当薫選手と、セリーグの松竹ロビンスの岩本義行選手が、シーズン3割、30本塁打、30盗塁以上を記録。プロ野球初のトリプルスリーを達成しました。

打率 本塁打 盗塁
別当薫 .335 43 34
岩本義行 .319 39 34

令和2年の現在でも達成者は10人しかいない。
ヤクルトスワローズの山田哲人選手が雄一複数回(3回)達成しているよ

別当薫選手の年度別打撃成績

年度 試合 安打 打率 本塁打 打点
昭和23 89 114 .328 13 57
昭和24 137 184 .322 39 126
昭和25 120 160 .335 43 105
昭和26 108 123 .309 16 67
昭和27 120 127 .279 18 67
昭和28 82 85 .305 11 48
昭和29 108 84 .248 11 45
昭和30 73 66 .276 4 24
昭和31 50 22 .275 0 10
昭和32 4 0 .000 0 0
合計 891 965 .302 155 549

別当薫選手の通算成績

身長 180cm
体重 75kg
利き腕 右投げ右打ち
守備位置 外野手
背番号
所属球団 大阪タイガース
(昭和23、24年)
毎日オリオンズ
(昭和25~32年)
実働 10年
試合 891
打席 3525
打数 3191
安打 965
二塁打 170
三塁打 38
本塁打 155
塁打 1676
打点 549
得点 607
盗塁 186
盗塁死 65
四球 318
三振 254
打率 .302 4000打数未満ながら3割をキープ
出塁率 .366
長打率 .525
最多安打 1回 昭和25年
首位打者 0回
本塁打王 1回 昭和25年
打点王 1回 昭和25年
MVP 1回 昭和25年、パリーグ初のMVP
ベストナイン賞 6回 外野手部門
ゴールデングラブ賞

監督として通算1000勝していながら優勝経験無し

さて、選手としては10年とあまり長くない実働年数でしたが、退した後に、監督として実に20年間も采配をふるうことになります。

毎日オリオンズ(7年間)、近鉄バファローズ(3年間)、大洋ホエールズ(2回で9年間)、広島東洋カープ(1年間)の4球団の監督をつとめ、監督として通算で、2497試合、1237勝をあげています。(1156敗、勝率.517)

通算の勝ち星だけなら、V9を達成した川上哲治監督を上回っています!

残念ながら、結局1度も優勝はできなかったのですが、オリオンズ時代には、高卒の榎本喜八選手(通算2314安打)を抜擢しました。

近鉄バファローズ時代には、やはり高校を中退した土井正博選手(通算465本塁打)を17歳で4番を打たせたりと、なにかと選手を育てることの上手い監督としての評価が高いです。