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誰も破れないシーズン161打点の日本記録を持つ小鶴誠選手の成績

さて、2013年(平成25年)にヤクルトスワローズのバレンティンがシーズン60本塁打の日本記録をつくりました。<

シーズン最高打率は、1986年(昭和61年)に、阪神タイガースのランディバースが.389の日本記録を作りました。

では、シーズンの打点記録は一体誰がもっているのでしょうか?

王貞治選手?長嶋茂雄選手?落合博満選手?

いずれも違います。

今回紹介する小鶴誠という選手が昭和25年につくった161打点が日本記録です!

その風貌から和製ディマジオといわれ、松竹ロビンスなどで活躍した小鶴誠選手を紹介します。

この記事を読んでわかること

○小鶴誠選手のプロ入り前、プロ入り後の経歴

〇小鶴誠選手の所属した球団

○小鶴誠選手のもっている3つの日本記録

○小鶴誠選手の年度別打撃成績

○小鶴誠選手の通算成績

飯塚誠としてプロ入り 新田恭一からゴルフスイングの指導を受ける

小鶴誠さんは、大正11年、12月17日に福岡県飯塚市に生まれました。
飯塚商業高等学校を経て、社会人野球の八幡製鉄所でプレーしていました。

軍需工場のため、転職は認められておらず、大学進学(日本大学)の名目で飯塚誠の偽名を使います。

「大学に進学したのは、勉強のためでなく、野球をするために夜間部に通った」
と本人は話しています。

昭和17年に名古屋軍に入団。1年目の打率は.216でしたが、飛ばないボールの時代であり、この打率でも打撃ベストテンの10位に入っています。

昭和19年は応召のため、球団には在籍せず、昭和21年に中部日本軍
(名古屋軍と同一のチーム、名称が違うだけ)に復帰します。

昭和22年まで在籍しましたが、球団代表の赤嶺昌志が辞任に追い込まれると、後を追ってて退団し、急映フライヤーズに移籍します。

この間に、元プロゴルファーの新田恭一の指導を受けて、腰の回転でダウンスイングで打つゴルフスイング打法を習得。
小柄で腕力も強くない小鶴に腰の回転で打つ打法はピッタリだったようです。

小鶴誠選手の所属した球団

小鶴選手はいくつもの球団に在籍しました。わかりやすいように表にします。

チーム名 在籍年度
名古屋軍・中部日本 昭和17、18、21~23年
急映フライヤーズ 昭和23年
大映スターズ 昭和24年
松竹ロビンス 昭和25~27年
広島カープ 昭和28年~昭和33年

松竹ロビンスで、シーズン161打点の日本記録

さて、昭和25年に松竹ロビンスに移籍した小鶴選手ですが、前年大映スターズ時代を上回る大活躍をすることになります。

シーズンをとうして打ちまくり、

130試合で、打率.355  51本塁打、161打点。本塁打王と打点王の二冠王となり、文句のつけようのない成績をあげました。

打率も1位の藤村富美男選手に7厘差の2位で、もう少しで三冠王になるところでした。

51本塁打、161打点、376塁打、143得点、85長打は全て当時の日本新記録で、本塁打、長打の記録は破られたものの、161打点、376塁打、143得点の3つは、令和2年の現在でも日本記録となっています。

この年の松竹ロビンスは、小鶴の他にも

37歳でプロ入りした大岡虎雄が34本塁打109打点。
神主打法の強打者、岩本義行も39本塁打127打点、

など打ちまくり、1試合平均6.6得点で水爆打線とよばれました。

投手陣も真田重男が39勝で最多勝、大島信雄、江田貢一も20勝投手となり、勝率.737で、セリーグ初の優勝チームとなります。

最高殊勲選手(MVP)は打者なら小鶴、投手なら真田というところでしたが、結局小鶴が受賞しています。

MVPは、今は最優秀選手だが、昔は最高殊勲選手と呼ばれていたよ!最高殊勲選手の方が、優勝チームから選出される意味合いが強い。

ボールが止まってみえたの真相

因みに、打撃の神様と呼ばれた川上哲治が言った有名な言葉で、
ボールが止まってみえた」
があります。しかし、この言葉は本当は、この小鶴が全盛期に言った言葉だったようです。

報知の記者が、「知名度の低い小鶴では記事にならない」と川上哲治が言った言葉にしたそうです。

小鶴誠さんの引退後

引退後は、国鉄、サンケイ、阪神などで打撃コーチをつとめ、阪神のスカウト時代は掛布雅之の入団テストを担当しました。

さらに、還暦までバッティングセンターに通い毎日200球打つなど、、根っからの野球好きで、バットマンであったようです。

小鶴誠選手の年度別打撃成績

年度 試合 安打 打率 本塁打 打点
昭和17 102 80 .216 2 29
昭和18 80 65 .207 3 21
昭和21 96 102 .273 10 63
昭和22 114 79 .211 9 38
昭和23 113 131 .305 16 65
昭和24 129 181 .361 24 92
昭和25 130 183 .355 51 161
昭和26 97 101 .261 24 85
昭和27 119 128 .284 17 49
昭和28 130 138 .283 14 74
昭和29 121 135 .297 15 72
昭和30 130 141 .285 18 67
昭和31 122 111 .259 11 43
昭和32 107 99 .256 8 38
昭和33 65 43 .247 8 26
合計 1655 1717 .280 230 923

小鶴誠選手の通算成績

身長 176cm
体重 71kg
利き腕 右投げ右打ち
守備位置 外野手、一塁手
背番号
所属球団
実働 15年
試合 1655
打席 6949
打数 6141
安打 1717
二塁打 267
三塁打 62
本塁打 230
塁打 2798 昭和25年に376塁打の日本記録
打点 923
得点 909 昭和25年に143得点の日本記録
盗塁 241
盗塁死 82
四球 761
三振 741
打率 .280
出塁率 .359
長打率 .456
最多安打 0回
首位打者 1回 昭和24年
本塁打王 1回 昭和25年、プロ野球初の50本塁打以上
打点王 1回 昭和25年、161打点の日本記録
MVP 1回 昭和25年
ベストナイン賞 2回 外野手部門
ゴールデングラブ賞