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南海、巨人でエースとして君臨 別所毅彦投手の成績 通算310勝

さて、前の記事で巨人の藤本英雄投手を紹介しました。今回も、大正生まれの投手であり、南海、巨人と2球団でエースとして活躍し、通算310勝をあげた大投手、別所毅彦投手の紹介になります。

別所投手は、投手には絶対にかかせない強靭な体力と、武器である大きなカーブで、相手打者を牛耳り、勝星を積み重ねました。

この記事をよんでわかること

〇別所毅彦投手の経歴、年度別成績、通算成績

〇別所毅彦投手のシーズン47完投の詳細

〇「泣くな別所 センバツの花だ」と言われた別所毅彦投手のの甲子園での詳細

「泣くな別所 センバツの花だ」

別所さんは、大正11年に、兵庫県淡路市に生まれました。旧滝川中学校に進学します。
そこで、元巨人軍の投手だった前川八郎先生からピッチングの技術を教わります。

昭和16年には、第18回全国中等学校野球大会にエースとして出場します。このときのチームメイトに、のちに巨人で一緒にプレーする、青田昇がいました。

優勝候補でしたが、準々決勝の岐阜商業中学校との対戦中、本塁へ突入したときに、勢いあまって左肘を骨折してしまいます。

それでも、三角巾で左腕をつりながら12回裏途中まで投げます。しかし、痛みが激しくついに降板。結局チームもサヨナラ負けになってしまいました。

しかし、骨折しながら力投する別所を、大阪毎日新聞神戸版は、「泣くな別所 センバツの花だ」と賛辞をおくりました。

その後、別所投手は日本大学に入学します。

チームメイトだった青田昇選手の記事はこちらです!↓(^0^)
[blogcard url=”https://fuku–blog.com/noboru-aota-record/”]

南海に入団。シーズン47完投の大記録

日本大学在籍中に、巨人と契約しますが、母親と兄は南海と契約してしまいます。
巨人は連盟に提訴しますが、親権者の契約が優先され、結局南海軍に昭和17年に入団します。

1年目こそ0勝でしたが、2年目の昭和18年には早くもノーヒットノーランを達成!

昭和22年は30勝、23年は26勝と完全にエースの働き。(o^^o)
特に、昭和22年は、制定されたばかりの沢村賞の初代受賞者になりました。

別所さんの投手としての特徴は、豪速球に加え、大きなカーブで打者を打ち取りました。それと、忘れてはならないのはその体力です。

プロ入りから引退まで、1度も肩の痛みや肘の痛みを経験しなかったという話は実話で、昭和22年には、47完投という、今のプロ野球では考えられないくらいの大記録をうちたてました。

登板 先発 完投 勝利 敗戦 勝率
55 50 47 30 19 .612
投球回 奪三振 完封 無四球 与四球 防御率
448.1 191 7 4 135 1.87

昭和22年は50先発だったので、完投率は94%にもなる

別所引き抜き事件の真相

さて、南海で30勝投手にもなり、優勝も経験した別所投手ですが、南海の自分への待遇に不満を持っていました。

別所投手は、南海球団に年俸アップと1軒家を要求します。しかし、年俸アップはみとめられず、交渉決裂。南海、別所ともに、日本野球連盟に訴えます。このとき、既に巨人が別所投手に接触していたようです。

結局、日本野球連盟の裁定は、調査結果にもとずき、別所に10万円の制裁金を課し、南海との契約を拒んだ別所は公式戦2カ月間の出場停止をを課せられます。

しかし、昭和24年3月に巨人と正式に契約して、以後巨人の選手として野球を続けることになります。

念願の巨人に在籍 221勝の球団記録

巨人に移籍した別所投手ですが、チームは変わっても相変わらずの活躍で、順調に勝星をのばします。

昭和25年から3年連続20勝。1年おいて、昭和29年からまた3年連続20勝。昭和27年には自己ベストの33勝。

MVPは、公式戦で昭和27.31年の2回。日本シリーズでのMVPも昭和27.30年の2回

同僚の藤本英雄、大友工投手との3本柱で、昭和26年〜28年の3年連続日本一に大貢献して巨人の黄金時代をささえました。巨人時代に記録した221勝、今でも球団記録になっいます。

この記録を破る投手がこれから巨人に現れるかどうかは誰もわかりませんが、立派な記録であることは間違いありませんね♫( ^∀^)

皆さんで見守りましょう!

別所毅彦投手の年度別投手成績

年度 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
昭和17 0 1 13 8 2.08
昭和18 14 23 319.1 128 2.25
昭和21 19 13 325 115 2.46
昭和22 30 19 448.1 191 1.87
昭和23 26 10 319.1 120 2.06
昭和24 14 9 180 91 2.35
昭和25 22 11 314 157 2.55
昭和26 21 9 301.1 131 2.45
昭和27 33 13 371.1 153 1.94
昭和28 16 8 191.1 75 2.63
昭和29 26 12 330 158 1.80
昭和30 23 8 312 152 1.33
昭和31 27 15 340.1 185 1.93
昭和32 14 11 219.2 100 2.50
昭和33 9 5 126.1 42 2.56
昭和34 7 7 110 56 2.86
昭和35 9 4 129.1 72 3.06
合計 310 178 4350.2 1934 2.18
もし、戦争でプレーできなかった昭和19、20年の2年間がなかったら、通算の勝ち星は350勝位は上げていた可能性が高い!

別所毅彦投手の通算成績

身長 181cm
体重 85kg
利き腕 右投げ右打ち
守備位置 投手
背番号
所属球団 南海、巨人
実働 17年
登板 662
先発 483
完投 335 歴代4位
完封 72 歴代4位
無四球 43 歴代5位
勝利 310 歴代5位
敗戦 178
勝率 .635
投球回 4350.2 歴代5位
与四球 1206
奪三振 1934
防御率 2.18 2000投球回以上で歴代7位
最多勝 3回
最優秀防御率 1回
最多奪三振 1回
最高勝率 1回
MVP 2回 昭和27・31年
沢村賞 2回 昭和22・30年
ベストナイン 6回 投手最多記録
ゴールデングラブ賞 当時はこの賞は制定前