プロ野球選手

通算597盗塁のセリーグ記録を持つ、柴田勲の野球人生

さて、以前このブログの黄金時代シリーズで巨人の9連覇のメンバーを紹介しました。そのときの1番バッターで、盗塁王に6度もなった俊足の選手、さらに日本初のスイッチヒッターで赤い手袋で有名な柴田勲選手を紹介します。

通算579盗塁のセリーグ記録


まず、結論ですが、柴田選手は579盗塁のセリーグ記録をもっています。セリーグ、パリーグを合わせても、阪急の福本豊の1065、南海の広瀬叔功の596に次ぐ日本で歴代3位の大記録です。さらに盗塁王のタイトルも通算で6回もとっています。

昭和42年の70盗塁を最高に、50盗塁台が1回、40盗塁台が3回、30盗塁台が5回、20盗塁台が5回など、黄金時代の巨人軍で走りまくりました。  (^ ^)

甲子園で2度の優勝投手

柴田選手は、法政二高時代は投手をしていました。昭和35年の夏の甲子園では、決勝で静岡高を3-0で破り優勝。翌昭和36年の春の甲子園では、決勝で高松商を4-0で破りこれまた優勝。夏春連覇を達成しました。
因みに、法政二高の1年後輩には、後に日本人初の大リーガーとなる村上雅則がいました。

日本初のスイッチヒッター

昭和37年に投手として巨人に入団します。開幕2戦目に先発しますが打ち込まれて降板。その後も投手として起用されますが通用せず、強肩俊足をいかし外野手に転向します。左打ちにも取り組み、日本初のスイッチヒッターになります。

柴田選手以後、沢山のスイッチヒッターが誕生しましたが、そのパイオニアとして柴田選手はもっと評価されるべき選手だと思います。

スイッチヒッターとは、右打席、左打席、両方の打席でバッターボックスに入る打者のことだよ。
右でも左でも打てるなんて器用だニャー!

3割未経験ながら2000本安打達成

柴田選手は打者としても長く活躍し、実働20年間で通算2018本安打を記録しました。しかし、3割打者には1度もなったことはなく、これは2000本安打を記録した選手としては、元日本ハムの田中幸雄選手と2人だけの記録です。3割を1度も打ったことがないのに通算2000本安打を達成できたのは、打順が多く回ってくる1番を打つことが多かったのが大きいです。

因みに、柴田選手の年間最多安打は昭和52年の145安打が最高。
3割を未経験の他に、年間150本安打も未経験の選手ということになるニャー!

柴田勲の年度別成績

 

年度 安打 本塁打 打率 盗塁 盗塁死
S.37 1 0 .250 0 0
S.38 107 7 .258 43 14
S.39 125 15 .253 50 11
S.40 74 8 .239 26 6
S.41 102 7 .251 46 13
S.42 135 18 .287 70 13
S.43 122 26 .258 37 10
S.44 80 9 .229 35 10
S.45 91 9 .256 22 16
S.46 123 3 .282 35 20
S.47 133 6 .293 45 19
S.48 137 6 .277 24 11
S.49 123 12 .275 13 9
S.50 118 10 .262 24 10
S.51 112 10 .284 20 6
S.52 145 18 .287 34 5
S.53 134 13 .292 34 8
S.54 95 9 .241 10 9
S.55 53 7 .249 10 2
S.56 8 1 .186 1 1
合計 2018 194 .267 597 193