今までこのサイトで、色々なスター選手を紹介してきました。
甲子園では、過去に色々なスター選手が登場しています。
今回は、その甲子園に5期連続出場。甲子園最多となる通算13本塁打。
エースの桑田真澄投手とKKコンビと言われ、PL学園の黄金時代をきづき、さらにはプロ入り後も、西武ライオンズの黄金時代の4番打者として活躍し続けたた清原和博選手を紹介します。
清原選手は、プロ入り入団1年目から31本塁打を放ち、以後、右打者ながらライトにもホームランを打てるバッターとして活躍しました。
とにかくチャンスに強く、オールスターゲームでも最多の7回のMVPも受賞しています。
ふっく
埼玉在住の会社員。好きな野球のブログを2019年から続けている。
当サイトで、主にプロ野球選手を1人づつとりあげたり、ネタにしている。
「甲子園は清原のためにあるのか!」

清原が初めて甲子園に出場したのは、高校1年生、昭和58年の夏
PL学園に入学したときは、投手もやっていましたが、
まず、結論からいうと、5回出場した甲子園で、
甲子園 | 結果 | 打率 |
1年生・夏 1983 |
優勝 | 23-7安打 ➀ .304 |
2年生・春 1984 |
準優勝 | 17-8安打 ➂ .471 |
2年生・夏 1984 |
準優勝 | 21-10安打 ➂ .476 |
3年生・春 1985 |
ベスト4 | 14-5安打 ➀ .357 |
3年生・夏 1985 |
優勝 | 16-10安打 ⑤ .625 |
甲子園 通算成績 |
優勝 2回 準優勝 2回 ベスト4 1回 |
91-40安打 ⑬.440 |
1年生の夏と3年生の夏の2回優勝。
準優勝2回。ベスト4が1回。
甲子園で打った通算のホームランが13本。
高校2年の夏の享栄高戦では、1試合で3本塁打。(2人しか記録していない)
3年生夏の宇部商との決勝戦では、この日2本目のホームランを打ったさいに、植草貞夫氏の、
「甲子園は、清原のためにあるのか!」
という実況まで飛び出した程でした。
因みに、清原和博と、エースの桑田真澄とのコンビは、KKコンビ
「【甲子園で戦後最多の通算20勝】巨人 桑田真澄投手の成績」はこちら
これは余談ですが、清原も元々投手をやっていたので、
清原の投手としての登板↓
甲子園 | 対戦相手 | 投球回数 | 安打 | 奪三振 |
3年生・春 1985 |
浜松商 | 1回と3分の2 | 0 | 2 |
3年生・夏 1985 |
東海大山形高 | 2回と3分の2 | 0 | 1 |
昭和60年秋のドラフト会議で西武ライオンズに入団
さて、清原選手を語るときに、
それは、元々清原選手は、大の巨人ファンで、巨人に入団することを心から望んでいました。
実際、巨人のスカウトも清原選手にいち早く目をつけていて、
しかし、昭和60年秋のドラフト会議では、
因みに、このときの巨人の監督は、
このときから、清原選手は、
「巨人と王監督にに裏切られた」
という気持ちを持ち続けることになります。
後年、清原選手は、
「10年前のこと、謝ってもらえませんか」
と話したというエピソードが残っています。
結局、昭和60年のドラフト会議では、巨人を除く6球団から指名
西武ライオンズの清原和博選手が誕生しました。
昭和61年に新人最多の31本塁打

さて、西武ライオンズに入団した清原選手ですが、
新監督、森まさあき監督の元、高卒の新人ながら1年目からレギュ
開幕2戦目の南海選手。プロ初打席は四球。
前半戦は終わった時点では11本塁打でしたが、後半戦は、
新人で31本塁打は、高卒、大卒、社会人を含めても令和3年の現
シーズン終了間際には、打率も3割だいをキープしていました。
最終戦に安打がでないと3割をきってしまいます。
森監督から、「休んでもいいよ」といわれましたが、
主な高卒選手(ホームランバッター)の新人(1年目)の成績↓
選手名 | 試合 | 打率 | 本塁打 | 打点 |
中西太 | 111 | .281 | 12 | 65 |
王貞治 | 94 | .161 | 7 | 25 |
清原和博 | 126 | .304 | 31 | 78 |
松井秀喜 | 57 | .223 | 11 | 27 |
この表を見ると、ホームランバッターとして活躍した選手を比べてみると、新人でこれだけの成績を残した清原は最も完成度の高かった選手ということがわかります。
4番打者として西武ライオンズの黄金時代に貢献

清原選手が入団した西武ライオンズは、森監督の元、
森監督時代 | 結果 |
昭和61年~63年 | 3年連続日本一 |
平成元年 | 3厘差で3位 |
平成2年~4年 | 3年連続日本一 |
平成5~6年 | 2年連続リーグ優勝 |
清原選手は、タイトルこそ獲得できませんでしたが、常勝チームの
森監督も、「彼はタイトルを獲得してないことを指摘されるが、
と語っており、PL学園時代の中村順司監督や、
タイトルを獲得していないといっても、毎年ホームランを30本前
大舞台に強く、オールスターで7回のMVP 通算525本塁打
清原選手は、公式戦の通算打率は.272ですが、
チャンスに強いのが特徴です。
通算サヨナラ安打 20本
通算サヨナラ本塁打 12本
オールスターゲームMVP 7回
は日本記録。
他の記録としては、通算1955三振、通算196死球も日本記録
清原和博選手の年度別打撃成績
年度 | 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 |
昭和61 | 126 | 123 | .304 | 31 | 78 |
昭和62 | 130 | 115 | .259 | 29 | 83 |
昭和63 | 130 | 129 | .286 | 31 | 77 |
平成1 | 128 | 126 | .283 | 35 | 92 |
平成2 | 129 | 134 | .307 | 37 | 94 |
平成3 | 126 | 121 | .270 | 23 | 79 |
平成4 | 129 | 134 | .289 | 36 | 96 |
平成5 | 128 | 120 | .268 | 25 | 75 |
平成6 | 129 | 127 | .279 | 26 | 93 |
平成7 | 118 | 99 | .245 | 25 | 64 |
平成8 | 130 | 125 | .257 | 31 | 84 |
平成9 | 130 | 115 | .249 | 32 | 95 |
平成10 | 116 | 103 | .268 | 23 | 80 |
平成11 | 86 | 62 | .236 | 13 | 46 |
平成12 | 75 | 64 | ..296 | 16 | 54 |
平成13 | 134 | 139 | .298 | 29 | 121 |
平成14 | 55 | 47 | .318 | 12 | 33 |
平成15 | 114 | 99 | .290 | 26 | 68 |
平成16 | 40 | 23 | .228 | 12 | 27 |
平成17 | 96 | 68 | .212 | 22 | 52 |
平成18 | 67 | 45 | .222 | 11 | 36 |
平成19 | 出場無し | ー | ー | ー | ー |
平成20 | 22 | 4 | .182 | 0 | 3 |
合計 | 2338 | 2122 | .272 | 525 | 1530 |
清原和博選手の通算成績
身長 | 188cm | |
体重 | 128kg | |
利き腕 | 右投右打 | |
守備位置 | 一塁手・三塁手 | |
背番号 | 西武時代 3 巨人時代 5 オリックス時代 5 |
|
所属球団 | 西武ライオンズ (11年間) 読売ジャイアンツ (9年間) オリックス・バファローズ (3年間) |
|
実働 | 22年 | |
試合 | 2338 | |
打席 | 9428 | |
打数 | 7814 | |
安打 | 2122 | |
二塁打 | 345 | |
三塁打 | 12 | |
本塁打 | 525 | 5位 |
塁打 | 4066 | |
打点 | 1530 | 6位 |
得点 | 1280 | |
盗塁 | 59 | |
盗塁死 | 31 | |
四球 | 1346 | |
死球 | 196 | 1位 |
三振 | 1955 | 1位 |
打率 | .272 | |
出塁率 | .389 | |
長打率 | .520 | |
最多安打 | 0回 | |
首位打者 | 0回 | |
本塁打王 | 0回 | |
打点王 | 0回 | |
MVP | 0回 | |
ベストナイン賞 | 3回 | |
ゴールデングラブ賞 | 5回 |