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【20勝を6回】大洋ホエールズのエース 秋山登 投手の成績  

今回紹介する投手も球史に残る大投手になります。

東京六大学野球で、明治大学の投手として3度の優勝。

大洋ホエールズに入団後も、チームのために、酷使されながらも連投に耐え抜き、20勝をあげること実に6回。

昭和35年には、不動のエースとして21勝をあげて最高殊勲選手(MVP)に輝いた秋山登投手の紹介になります。

明治大学で毎日1000球の投げ込み

のちに大洋ホエールズでバッテリーを組む、土井淳捕手とは、岡山東高、明治大学もずっと同期でした。

高校3年の夏に、甲子園に出場しますが、中西太選手にホームランをあびるなど、1回戦で敗退。

高校卒業後、明治大学に進学し、同大学を3度の優勝に導きます。

当時の明治大学は、精神野球をモットーとする島岡吉郎監督です。

秋山投手も毎日1000球の投げ込みを命じられ鍛えられました。

大学通算70試合で33勝18敗。防御率1.48。334奪三振という記録が残っています。

ふっく
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昭和29年の東大戦で1試合22奪三振のリーグ記録も達成してるよ。

秋山投手は、当時を振り返って、

「大学時代は技術的なことは何も得るものがなかったが精神的には充実して、進歩したと思う」

と語っています。

卒業後、秋山登投手と、土井淳捕手は大洋ホエールズに入団することになりますが、

この2人以外にも一塁手の黒木弘重、遊撃手の岩岡保宏、外野手の沖山光利がいずれも大洋ホエールズに入団し、「明大五人組」と呼ばれました。

21勝10敗で昭和35年にMVP


秋山投手は、横下手投げながら、伸びのあるストレートと、カミソリシュートを武器に、入団1年目から大活躍し、25勝25敗で見事新人王を受賞します。

以後、大洋ホエールズでエースとして投げ続けることになります。

当時のチームメイトで、センターを守っていた青田昇氏によると、

「秋山投手のボールはただ速いだけではなく、全てのボールが生き生きとしていて、シュートはえげつないほど切れ込んでく」

と語っています。

昭和35年に、弱小大洋ホエールズに、西鉄ライオンズで3年連続日本一をなしとげた三原監督が就任しました。

前年最下位の大洋ホエールズを見事な起用方法でチームをリーグ優勝させます。

秋山投手も21勝をあげて1.75で最優秀防御率のタイトルも獲得。最高殊勲選手(MVP)に選ばれました。

さらに、日本シリーズでも、毎日オリオンズ絶対有利の前評判をくつがえし、4試合全て1点差勝利で4勝0敗で日本一に導きました。

秋山投手は4試合全てリリーフとして登板。16回と3分の1を自責点1の防御率0.53。
連投をものともせずに投げまくりました。

昭和35年以後、大洋ホエールズはまた長い間優勝から遠ざかり、次の優勝は、1998年(平成10)の権藤博監督のもと、日本一になるまで、38年もかかっています。

ダブルヘッダーで1日2勝を5回記録

さて、皆さんはかつてプロ野球で、ダブルヘッダーという試合形式が行われていたのは知ってますか?

ダブルヘッダーとは、1日に、普通なら1試合ですが、2試合行われる試合形式です。

日本のプロ野球では、1998年(平成10年)を最後にもう20年以上も行われていませんが、昭和の頃は当たり前に行われていました。

そういう試合形式なので、投手も2試合に連投して 2勝をあげた投手もいます。

今回紹介している秋山投手は、そのダブルヘッダーで、1日2勝を通算5回も記録し、日本記録としてのこっています。

秋山登投手のダブルヘッダーで1日2勝の詳細↓

日付 対戦チーム 1試合目 2試合目
昭和32.9.11 広島 4回(3) 6回(0)
昭和35.6.29 巨人 5回(0) 3.1回(0)
昭和36.7.12 国鉄 2回(0) 4回(0)
昭和37.5.20 広島 2回(0) 4.2回(1)
昭和38.9.15 広島 1.1回(0 完投(4)

※カッコ内は自責点 ※昭和38年、9月15日の2試合目以外は全てリリーフで登板

さらに、昭和37年の9月25日、26日の阪神戦では、2リーグ分裂後、唯一の2日連続完封勝利をあげています。

現在のように、エースピッチャーは中4日など、そういう休養はほとんどとらせずに、どんどエースを連投させていた昭和30年代の記録です。

今後も破られないといわれる記録のひとつです。

20勝6回、通算193勝で引退

秋山投手は結局大洋ホエールズ一筋で、20勝6回を含む、9年連続2桁勝利、通算193勝で引退しました。

入団以来9年連続50登板以上。

投球回数も入団以来379.2回、406回、359回と3年連続してリーグトップ。

初めから強い球団で投げていれば200勝はおろか、250勝もできていたという人も少なくありません。

勝利数も評価できますが、敗戦数も入団以来25.27.23.22敗と4年連続してリーグ最多を記録したのも、よく投げた証拠である意味勲章だと思います。

秋山登投手の年度別投手成績

年度 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
昭和31 25 25 379.2 266 2.39
昭和32 24 27 406 312 2.50
昭和33 17 23 359 243 2.51
昭和34 14 22 300.1 212 3.29
昭和35 21 10 262.1 183 1.75
昭和36 20 15 280.2 179 2.63
昭和37 26 12 290.2 199 1.94
昭和38 13 14 214.2 99 3.10
昭和39 21 10 259.2 126 2.73
昭和40 5 5 103.1 41 2.71
昭和41 6 8 130.1 35 4.02
昭和42 1 0 6.1 1 4.50
合計 193 171 2993 1896 2.60

秋山登投手の通算成績

身長 177cm
体重 73kg
利き腕 右投右打
守備位置 投手
背番号
所属球団 大洋ホエールズ
実働 12年
登板 639
先発 278
完投 132
完封 29
無四球 6
勝利 193
敗戦 171
勝率 .530
投球回 2993
与四球 854
奪三振 1896
防御率 2.60
最多勝 0回
最優秀防御率 1回 昭和35年
最多奪三振 1回 昭和32年
最高勝率 1回 昭和35年
MVP 1回 昭和35年
沢村賞 0回
ベストナイン 1回 昭和35年
殿堂入り 平成16年、特別表彰

まとめ

〇秋山登投手は明治大学時代に毎日1000投球数の練習をした

〇秋山登投手は明治大学時代に東大相手にリーグ記録の1試合22奪三振を記録した

〇秋山登投手は大洋ホエールズで1年目に25勝をあげて新人王を受賞した

〇秋山登投手は昭和35年に21勝をあげて最高殊勲選手賞(MVP)を受賞した

〇秋山登投手は通算193勝で200勝にわずかに足りず引退した