通算本塁打の記録は868本塁打の王貞治選手がもっています。
通算三塁打の記録は115三塁打の福本豊選手がもっています。
さて、それでは通算二塁打の記録は誰がもっているかわかりますか?
その選手こそ、今回紹介する 中日ドラゴンズ一筋で活躍した立浪和義選手です。
立浪選手は、2005年に、それまで福本豊選手がもっていた通算449二塁打の記録をやぶり、最終的に487二塁打の日本記録をつくりました。
その他にも、高卒新人でゴールデングラブ賞を受賞し、新人王を受賞。
中日ドラゴンズ一筋で通算の安打数も高木守道選手の球団記録を超える2480安打を記録するなど、息の長い選手として活躍しました。
改めて、立浪選手の野球人生を紹介します!
ふっく
埼玉在住の会社員。好きな野球のブログを2019年から続けている。
当サイトで、主にプロ野球選手を1人づつとりあげたり、ネタにしている。
立浪和義選手の年度別打撃成績
年度 | 試合 | 安打 | 二塁打 | 打率 | 本塁打 |
昭和63 | 110 | 75 | 15 | .223 | 4 |
平成1 | 30 | 20 | 6 | .235 | 2 |
平成2 | 128 | 155 | 33 | .303 | 11 |
平成3 | 131 | 151 | 35 | .290 | 10 |
平成4 | 98 | 114 | 16 | .301 | 5 |
平成5 | 128 | 143 | 18 | .286 | 16 |
平成6 | 129 | 134 | 27 | .274 | 10 |
平成7 | 126 | 147 | 25 | .301 | 11 |
平成8 | 130 | 165 | 39 | .323 | 10 |
平成9 | 133 | 133 | 24 | .269 | 14 |
平成10 | 134 | 137 | 24 | .272 | 8 |
平成11 | 123 | 111 | 32 | .266 | 4 |
平成12 | 126 | 132 | 30 | .303 | 9 |
平成13 | 139 | 148 | 30 | .292 | 9 |
平成14 | 137 | 153 | 34 | .302 | 16 |
平成15 | 135 | 140 | 28 | .280 | 13 |
平成16 | 134 | 161 | 25 | .308 | 5 |
平成17 | 138 | 127 | 25 | .253 | 9 |
平成18 | 113 | 68 | 10 | .263 | 1 |
平成19 | 101 | 30 | 2 | .275 | 2 |
平成20 | 86 | 15 | 4 | .205 | 1 |
平成21 | 77 | 21 | 5 | .318 | 1 |
合計 | 2586 | 2480 | 487 | .285 | 171 |
立浪和義選手の通算成績
身長 | 173cm | |
体重 | 70kg | |
利き腕 | 右投左打 | |
守備位置 | 二塁手 三塁手 遊撃手 一塁手 |
|
背番号 | 3 | |
所属球団 | 中日ドラゴンズ | |
実働 | 22年 | |
試合 | 2586 | 7位 |
打席 | 10033 | 9位 |
打数 | 8716 | 9位 |
安打 | 2480 | 8位 |
二塁打 | 487 | 日本記録 |
三塁打 | 38 | |
本塁打 | 171 | |
塁打 | 3556 | |
打点 | 1037 | |
得点 | 1175 | |
盗塁 | 135 | |
盗塁死 | 91 | |
四球 | 1086 | |
三振 | 1007 | |
打率 | .285 | |
出塁率 | .366 | |
長打率 | .408 | |
最多安打 | 0回 | |
首位打者 | 0回 | |
本塁打王 | 0回 | |
打点王 | 0回 | |
MVP | 0回 | |
ベストナイン賞 | 2回 | |
ゴールデングラブ賞 | 5回 | 二塁手(1995~1997)3回 三塁手(2003年)1回 遊撃手(1988年)1回 |
殿堂入り | ◎ | 2019年、競技者表彰 |
PL学園で、清原、桑田もできなかった春夏連覇
立浪選手は、昭和44年、8月19日に大阪府吹田市に生まれます。
元々は右利きでしたが、父親に左利きにさせられます。
高校は、名門中の名門、PL学園に入学します。
2学年上にはKKコンビの清原和博と桑田真澄がおり同期には、橋本清、片岡篤史、野村弘樹など、のちのプロ野球で活躍する選手が沢山そろっていました。
遊撃手でキャプテンとして、1987年の春と夏の甲子園で連覇を果たします。春と夏の連覇は、清原、桑田でも達成できなかった快挙でした。
のちに、中日ドラゴンズで同じチームになる井端弘和選手は、「立浪選手の守備は、高校時代から完成されていた」と語っています。
夏の大会の成績は、21打数9安打の打率.429と打ちまくり、その年のドラフトで、南海ホークスと中日ドラゴンズが1位指名します。
結局、中日の星野仙一監督が当たりくじを引き、立浪選手は中日ドラゴンズに入団することになりました。
高卒1年目で新人王、ゴールデングラブ賞を受賞
高卒の新人は、1年目は、体づくりのメニューをこなすのが普通です。
しかし、立浪選手は、春季キャンプを1軍でスタートして、いきなり開幕戦に2番遊撃手として出場します。
高卒の新人野手で開幕戦に出場した選手は、パリーグでは2006年の炭谷銀仁朗・2011年の駿太・2013年の大谷翔平・2019年の藤原恭大と4人いますが、セリーグでは立浪選手以降30年以上もでていません。
例えば、アメリカ大リーグでもいきなり1軍で出場する選手は滅多になく、マイナーリーグで力をつけてから大リーグに昇格が普通です。
6回裏の第3打席目で、大洋ホエールズの開幕投手、欠端光則投手からプロ入り初安打を記録。
以後も試合に出場し続けて、オールスターゲームにもファン投票で選出されます。
結局、新人の1988年は、110試合に出場して、規定打席にギリギリ到達。
打率こそ.223とリーグ最下位でしたが、75安打、22盗塁。新人王を受賞しただけでなく、遊撃手部門のゴールデングラブ賞を高卒新人として初受賞しました。
ミスタードラゴンズとして日本記録487二塁打を記録
2年目の1989年は、前年に痛めた右肩の故障から、わずか30試合の出場でしたが、3年目以降はレギュラーに完全に定着して、中日ドラゴンズにかかせないプレーヤーとなります。
16年連続で規定打席に到達して100安打以上、3割打者に7回。
高木守道選手の球団記録を抜く、歴代でも8位の通算2480安打。
1試合5安打を通算5回。サヨナラ満塁本塁打を2本。いずれも日本タイ記録です。
173㎝70kgとけっして大きくない身体ながら、抜群の野球センスでヒットを量産しました。
立浪選手のことを、西沢道夫、高木守道に次ぐ、3代目のミスタードラゴンズと評価する人もいます。
特筆するのは、それまで阪急ブレーブスの福本豊選手が保持していた、通算449二塁打の記録を破ったことです。
立浪選手はシーズンの二塁打数では、トップにたったことは1度もありませんが、毎年20〜35本の二塁打をコツコツと記録して、最終的に通算487二塁打の日本記録をつくりました。
異なる内野3ポジションでゴールデングラブ賞を受賞
さらに、立浪選手の野球センスを証明するのにうってつけの記録があります。
それは、遊撃手以外にも、二塁手、三塁手を守り、内野3ポジションでゴールデングラブ賞を受賞するという、前代未聞の記録を残しています。
同じ内野だからそんなの簡単じゃないかと思う人は野球を知らない人です。
遊撃手、二塁手、三塁手は、同じ内野手ですが、それぞれ守り方はかなり違います。
それを、ただ守るだけでなく、それぞれのポジションでゴールデングラブ賞を受賞するまでの守備をするのは特筆ものです。
二塁手 | 三塁手 | 遊撃手 | |
試合数 | 1148 | 570 | 426 |
失策 | 60 | 52 | 43 |
守備率 | .989 | .957 | .984 |
刺殺 | 2486 | 341 | 670 |
捕殺 | 3027 | 817 | 1096 |
ゴールデングラブ賞 | 3回 | 1回 | 1回 |
主に守った期間 | 1992年~2001年 (10年間) |
2002年~2006年 (5年間) |
1988年~1991年 (4年間) |
※現役最後の2007年~2009年は、主に代打で出場していました。
まとめ
〇立浪選手は、高卒一年目で規定打席に到達した
〇立浪選手は、中日ドラゴンズの球団記録の2480安打を記録した
〇立浪選手はプロ野球で唯一3ポジションでゴールデングラブ賞を受賞した
〇立浪選手は、シーズン二塁打数でトップに立ったことは一度もないが、22年間という長い選手生活をおくったために
通算487二塁打の日本記録をつくることができた