今までこのブログで何人もの大投手、名投手を紹介してきました。
その中でも鉄腕とよばれるにふさわしい投手が何人もいました。
戦後の鉄腕投手の代表は、昭和30年代に西鉄ライオンズで大活躍し、シーズン42勝、3年連続30勝、8年連続20勝を達成した稲尾和久投手になると思います。
それでは、戦前の鉄腕投手といったら誰でしょうか?
戦前の鉄腕投手といったらこの人以外にはいません!野口4兄弟の次男で、甲子園で昭和12年夏と、昭和13年春の2回優勝投手となり、プロ野球入団後もシーズン40勝、527.1投球回を記録、延長28回を完投するなど数々の驚異的な記録を残した野口二郎投手です。
野口投手は、法政大学を中退し、東京セネタースに入団。翼、大洋軍、西鉄軍、阪急ブレーブスなどチーム名やチームが変わっても活躍し続けました。
野口二郎投手の年度別投手成績
野口二郎投手の通算成績
野口二郎投手の獲得タイトル
野口二郎投手の延長28回完投の詳細
野口二郎投手の投手としての特徴
ふっく
埼玉在住の会社員。好きな野球のブログを2019年から続けている。
当サイトで、主にプロ野球選手を1人づつとりあげたり、ネタにしている。
昭和17年に 40勝 19完封 527.1投球回 防御率1.19 を記録
野口二郎投手の鉄腕ぶりを証明する驚嘆な記録に、シーズン527.1投球回があります。
昭和17年につくられた記録ですが、
この年は66登板41完投、527.1投球回、40勝(17敗) 19完封勝利、264奪三振、防御率1.19と全ての部門においてハイレベルな成績をのこしました。
そのうち、19完封勝利は巨人、藤本英雄投手と並ぶ日本記録。投球回527.1回も朝日、林安夫投手につぐ、歴代2位の記録です。
これがどんなにすごい記録かは、今のプロ野球で
年間200投球回投げる投手がほとんどいないことからみてもわかるでしょう。
酷使が当たり前だった昔のプロ野球でも年間500投球回を投げたのは2人だけです。
戦後の鉄腕投手の稲尾和久投手でさえ、1番投げた年でも、昭和36年の404投球回が最高です。
野口二郎投手と現代の投手、入団5年間の投球回数の比較↓
野口二郎 | 田中将大 | ダルビッシュ有 | |
1年目 | 459 | 186.1 | 94.1 |
2年目 | 387 | 172.2 | 149.2 |
3年目 | 338 | 189.2 | 207.2 |
4年目 | 527.1 | 155 | 200.2 |
5年目 | 385 | 226.1 | 182 |
5年間合計 | 2096.1回 | 930回 | 834.1回 |
延長28回を完投 野口二郎344球 西沢道夫が311球
さらに、野口二郎投手の有名な試合延長28回を完投という、ちょっと信じられないような記録があります。
昭和17年、5月24日の大洋対名古屋でこの記録は生まれました。
最後は4対4の引き分けで決着はつかなかったのですが、28回といえば、3試合分を1日で投げ抜いた計算になります。
因みに、名古屋の先発投手の西沢道夫投手も28回を完投しました。
野口二郎投手が1試合での日本記録となる344球。西沢道夫投手が311球と投げ抜きました。
勿論、延長28回は今でもプロ野球記録として残っています。
阪急ブレーブス時代に31試合連続安打
野口投手は、実は打者としても試合に出場していました。最近の大谷選手の二刀流の元祖ですね。
しかも、投手として規定投球回と打者として規定打数両方を満たしたシーズンが6回もあり、そのうち、昭和15年、昭和21年は、両方でベスト10入りしています。
話題集めの二刀流ではなく、完全に投打の実力があったので、投手と打者として試合に出場していました。
阪急ブレーブス時代の昭和21年8月29日〜10月26日まで、打者として当時の日本記録である31試合連続安打を達成しています。
連続安打中の成績は、ホームランこそありませんでしたが、131打数48安打で、打率.368でした。
※今は規定打数ではなく規定打席
野口二郎選手の年度別打撃成績
年度 | 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 |
昭和14 | 92 | 87 | .251 | 0 | 26 |
昭和15 | 96 | 87 | .260 | 0 | 34 |
昭和16 | 79 | 46 | .185 | 1 | 26 |
昭和17 | 91 | 68 | .216 | 0 | 23 |
昭和18 | 65 | 60 | .253 | 0 | 26 |
昭和21 | 96 | 100 | .298 | 1 | 44 |
昭和22 | 89 | 45 | .217 | 1 | 20 |
昭和23 | 108 | 81 | .261 | 2 | 36 |
昭和24 | 121 | 109 | .277 | 0 | 54 |
昭和25 | 107 | 86 | .259 | 3 | 41 |
昭和26 | 77 | 39 | .222 | 1 | 18 |
昭和27 | 69 | 21 | .200 | 0 | 18 |
昭和28 | 8 | 1 | .143 | 0 | 2 |
合計 | 1098 | 830 | .248 | 9 | 368 |
甲子園で2回全国制覇
高校は、中京商業高校に進学し、昭和10年春、昭和12年春、昭和12年夏、昭和13年春と4回も甲子園に出場しています。
そのうち、昭和12年夏と、昭和13年春の大会で見事優勝投手になっています。
甲子園の通算成績は12勝1敗で、完封勝利が7回と素晴らしい成績でした。
プロでの優勝経験なし
実は野口投手はこれだけ活躍しながら、意外にもプロでの優勝経験がありません。
通算200勝投手中、プロ野球で優勝経験がないのはこの野口二郎投手と、大洋ホエールズのエースだった平松政次投手の2人だけです。
因みに、平松投手も40年春の選抜甲子園で優勝しており、プロ通算200勝投手の中で、甲子園で優勝投手となったのも野口二郎、平松政次投手の2人だけです。
野口二郎投手の特徴
さて、投手として数々の記録をのこした野口二郎投手はどんなタイプの投手だったのでしょうか?
青田昇氏の著書、「サムライたちのプロ野球」によると、
野口投手は「小さなモーションで短いインターバルで、ピュッピュッと小石を投げつけるように投げてくる投げてくる。それが小気味のいい快速球で手元でパッと伸びるから容易に打ち崩せない」
とのことです。
さらに、コントロールが抜群で、阪急ブレーブス時代の昭和23年には、13無四球の日本記録をつくっています。
野口二郎投手の年度別投手成績
年度 | 勝利 | 敗戦 | 投球回 | 奪三振 | 防御率 |
昭和14 | 33 | 19 | 459 | 221 | 2.04 |
昭和15 | 33 | 11 | 387 | 273 | 0.93 |
昭和16 | 25 | 12 | 338 | 168 | 0.88 |
昭和17 | 40 | 17 | 527.1 | 264 | 1.19 |
昭和18 | 25 | 12 | 385 | 140 | 1.45 |
昭和21 | 13 | 14 | 212 | 39 | 2.67 |
昭和22 | 24 | 17 | 382 | 86 | 2.26 |
昭和23 | 14 | 16 | 297 | 66 | 2.94 |
昭和24 | 10 | 6 | 166.1 | 55 | 3.56 |
昭和25 | 15 | 9 | 181.2 | 61 | 3.16 |
昭和26 | 4 | 5 | 75.1 | 14 | 4.74 |
昭和27 | 1 | 1 | 36.2 | 8 | 4.14 |
合計 | 237 | 139 | 3447.1 | 1395 | 1.96 |
野口二郎投手の通算成績 投手
身長 | 175cm | |
体重 | 64kg | |
利き腕 | 右投右打 | |
守備位置 | 投手・外野手 | 一塁手 |
背番号 | ||
所属球団 | 東京セネタース 翼 大洋軍 西鉄軍 阪急ブレーブス |
|
実働 | 投手12年 打者13年 |
|
登板 | 517 | |
先発 | 321 | |
完投 | 259 | |
完封 | 65 | |
無四球 | 57 | |
勝利 | 237 | |
敗戦 | 139 | |
勝率 | .630 | |
投球回 | 3447.1 | |
与四球 | 647 | |
奪三振 | 1395 | |
防御率 | 1.96 | |
最多勝 | 1回 | |
最優秀防御率 | 2回 | |
最多奪三振 | 1回 | |
最高勝率 | 0回 | |
MVP | 0回 | |
沢村賞 | 0回 | |
ベストナイン | 0回 |