プロ野球が1リーグからセリーグとパリーグに分裂して2リーグになってから70年たちます。
その2リーグ初年度に優勝したチームは、セリーグが松竹ロビンス。パリーグが毎日オリオンズです。
今回紹介する投手はその松竹ロビンスのエースだった真田重蔵投手です。
真田投手は、173センチと小柄ながら速球とドロップでプロ野球で大活躍しました。
真田投手の活躍をふりかえります。
松竹ロビンスでセリーグ記録のシーズン39勝

まず、結論です。真田投手は、1リーグから2リーグ(セリーグ、パリーグ)に分裂した昭和25年に、松竹ロビンスのエースとして年間39勝をあげました。
この39勝は、令和2年の現在まで70年間も破られないセリーグ記録です。(パリーグは昭和36年の西鉄ライオンズ、稲尾和久投手の42勝が記録)
真田投手の昭和25年の成績 ↓
登板 | 先発 | 完投 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 |
61 | 36 | 28 | 39 | 12 | .765 |
投球回 | 奪三振 | 完封 | 無四球 | 与四球 | 防御率 |
395.2 | 191 | 5 | 5 | 81 | 3.05 |
先発した36試合のうちの殆どの28完投。勝率も.765でかなり高いです。防御率も8位に入っています。
真田投手の所属した松竹ロビンスは、真田投手の他に、江田、大島投手も20勝しています。
打撃陣も打ちまくり、小鶴誠選手が.355 51本塁打、161打点。岩本義行選手が.319 39本塁打、127打点。チーム合計98勝(35敗)、勝率.737でセリーグ初の優勝チームになりました。
真田投手が39勝もできたのは、投球回395イニングも投げたのと、得意のドロップ(今でいうカーブのこと)がさえわたったのと、打撃陣の援護が大きかったのが大きいです。セリーグ初の沢村賞に輝いています。
因みに、投球回ですが、現在のプロ野球では、200イニングも投げたら間違いなくエース級です。
同時代には、真田投手の他にも勿論セリーグには大投手、好投手は沢山いました。
主要なセリーグの投手の年間最多勝利数をのせておきます。真田投手の記録が凄いことがわかるはずです。
藤本英雄 | 26勝 | 巨人 | 昭和25年 |
別所毅彦 | 33勝 | 巨人 | 昭和27年 |
大友工 | 30勝 | 巨人 | 昭和30年 |
金田正一 | 31勝 | 国鉄 | 昭和33年 |
権藤博 | 35勝 | 中日 | 昭和36年 |
秋山登 | 26勝 | 大洋 | 昭和37年 |
長谷川良平 | 30勝 | 広島 | 昭和30年 |
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甲子園とプロ野球で優勝した最多勝投手
真田投手は、和歌山県和歌山市に果物菓子商を営む家庭に、7人兄弟の末っ子として生まれました。昭和13年に海草中時代に入学します。(現在は向陽高校)
2年生の昭和14年の夏の甲子園に5番、三塁手で出場。エース嶋の力投でチームは優勝。嶋が進学したのち、真田選手は投手に転向します。このとき、本人は投手への転向をあまりよく思ってなかったといいます。
しかし、結局投手に転向。昭和15年の夏の甲子園は真田投手の力投でまたもや優勝。海草中の2連覇に貢献し、戦前最後の怪腕と呼ばれました。
高校を卒業後、職業野球(現在のプロ野球)の朝日軍に入団します。新人ながら13勝をあげ、2年目からは3年連続20勝を達成し、チームの大エースになりました。
昭和23年には最初のノーヒットノーランを達成!失策1つの準完全試合でした。
プロでの通算178勝は、甲子園とプロ野球で優勝した投手の中で、最多勝記録になっています。
近年では、巨人の桑田真澄投手が173勝で迫りましたか、結局抜くことはできずに引退しました。
真田投手のバッティング
真田投手は、投手ながらバッティングも得意でした。昭和25年〜27年まで、3年連続の3割と、まるで野手並みの成績!優勝した昭和25年は、36打点もあげています。
通算 1386打数353安打 打率.255
もし野手として選手生活を送ったとしても間違いなく成功できたと思います。
いやあ〜野球選手の塊のような選手の典型ですね!(*^^*)
真田投手の年度別投手成績
年度 | 勝利 | 敗戦 | 投球回 | 奪三振 | 防御率 |
S.18 | 13 | 13 | 278 | 106 | 1.97 |
S.21 | 25 | 26 | 464.2 | 200 | 3.15 |
S.22 | 23 | 21 | 424 | 152 | 2.38 |
S.23 | 25 | 19 | 392.2 | 172 | 2.22 |
S.24 | 13 | 13 | 191.1 | 87 | 4.13 |
S.25 | 39 | 12 | 395.2 | 191 | 3.05 |
S.26 | 7 | 6 | 94.2 | 33 | 5.31 |
S.27 | 16 | 9 | 228 | 80 | 1.97 |
S.28 | 8 | 6 | 128.1 | 28 | 3.21 |
S.29 | 7 | 2 | 93.2 | 26 | 3.45 |
S.30 | 2 | 1 | 26 | 8 | 3.81 |
合計 | 178 | 128 | 2717 | 1083 | 2.83 |
真田投手の通算成績
身長 | 173cm | |
体重 | 73kg | |
利き腕 | 右投げ右打ち | |
守備位置 | 投手 | |
実働 | 11年 | |
登板 | 416 | |
先発 | 296 | |
完投 | 211 | 昭和21年に43完投 |
完封 | 39 | |
無四球 | 20 | |
勝利 | 178 | |
敗戦 | 128 | |
勝率 | .582 | |
投球回 | 2717 | 昭和21年に464.2回投げる |
与四球 | 869 | |
奪三振 | 1083 | |
防御率 | 2.83 | |
最多勝 | 1回 | 昭和25年 |
最優秀防御率 | 0回 | |
最多奪三振 | 1回 | 昭和21年 |
沢村賞 | 1回 | 昭和25年 |
真田投手は野球選手としてのセンスが抜群で、戦前、前後と大活躍しました。投手なら1度は経験したい、ノーヒットノーランも2度達成さています。球史にのこる大投手の1人です。
先に書いた、年間39勝ですが、この上をいくのは、スタルヒンと稲尾和久の42勝と、野口二郎の40勝しかありません。この3人については、今後とりあげようと思ってます。