さて、今回は黄金時代シリーズ第3弾です。80年代から90年代にかけて、西部ライオンズは強い球団であり続けました。監督は、根本陸夫、広岡達朗、森祇晶と交代しました。
今回は、森さんが監督時代に9年間で8年間のリーグ優勝と6回の日本一になりましたので、この9年間(昭和61年〜平成6年)を1つの黄金時代として、振り返ってみようと思います。(平成元年のみ3位)
レギュラーメンバー
監督
森祇晶 岐阜高
投手
東尾修 箕島高 右投右打
渡辺久信 前橋工 右投右打
工藤公康 愛工大名電高 左投左打
郭泰源 中華民国陸軍野球部 右投右打
石井丈裕 プリンスホテル 右投右打
野手
一塁手 清原和博 PL学園 右投右打
二塁手 辻発彦 日本通運 右投右打
三塁手 石毛宏典 プリンスホテル 右投右打
遊撃手 田辺徳雄 吉田高 右投右打
左翼手 安部理 東北高 左投左打
中堅手 秋山幸二 八代高 右投右打
右翼手 平野謙 名古屋商科大学 右投両打
DH デストラーデ パイレーツ 右投両打

9年間の個人成績
投手名 | 勝利 | 敗戦 | 防御率 |
渡辺久信 | 106 | 81 | 3.54 |
郭泰源 | 100 | 51 | 3.13 |
工藤公康 | 91 | 40 | 3.51 |
石井丈久 | 52 | 34 | 3.12 |
松沼博久 | 34 | 29 | 4.38 |
東尾修 | 33 | 29 | 3.62 |
投手では、渡辺久信、郭泰源が100勝以上、工藤も91勝をあげています。年間20勝した投手こそいないものの、森祇晶監督の投手に無理をさせないで、1番力を発揮できそうなときに登板させる起用方法で毎年優勝しました。
選手名 | 安打 | 本塁打 | 打率 |
石毛宏典 | 1168 | 130 | .288 |
清原和博 | 1129 | 273 | .283 |
秋山幸二 | 1072 | 284 | .277 |
辻発彦 | 1034 | 35 | .284 |
伊東勤 | 852 | 79 | .244 |
田辺徳雄 | 709 | 66 | .280 |
平野謙 | 696 | 18 | .276 |
デストラーデ | 436 | 154 | .264 |
打者ではやはり、秋山、清原の3番4番が安打数、本塁打で貢献していることが数字からわかります。1番の辻が出塁して、平野がバントで送り、秋山、清原でランナーを返すのが西武の常勝パターンです。レギュラー人は皆足が早く、得点能力があったことも忘れてはいけません。
9年間のチーム年度別成績
年度 | 試合数 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 |
昭和61年 | 130 | 68 | 49 | .581 |
昭和62年 | 130 | 71 | 45 | .612 |
昭和63年 | 130 | 73 | 51 | .589 |
平成元年 | 130 | 69 | 53 | .566 |
平成2年 | 130 | 81 | 45 | .643 |
平成3年 | 130 | 81 | 43 | .653 |
平成4年 | 130 | 80 | 47 | .630 |
平成5年 | 130 | 74 | 53 | .583 |
平成6年 | 130 | 76 | 52 | .594 |
合計 | 1170 | 667 | 430 | .608 |
森監督の9年間で、リーグ優勝を逃したのは平成元年の1回だけ。しかも、その年も優勝した近鉄と僅かに3厘差の3位です。もしこの年に優勝していれば、巨人につぐ9連覇になるところでした。平成2年~平成6年の5連覇はパリーグ記録です。

日本シリーズの成績
年度 | 勝敗 | MVP |
昭和61年 | 〇西武4-3広島● 1引き分け |
工藤公康 |
昭和62年 | 〇西武4-2巨人● | 工藤公康 |
昭和63年 | 〇西武4-1中日● | 石毛宏典 |
平成2年 | 〇西武4-0巨人● | デストラーデ |
平成3年 | 〇西武4-3広島● | 秋山幸二 |
平成4年 | 〇西武4-3ヤクルト● | 石井丈裕 |
平成5年 | ●西武3-4ヤクルト〇 | 川崎憲次郎 |
平成6年 | ●西武2ー4巨人〇 | 槙原寛己 |
合計 | 29勝20敗 1引き分け |
巨人、広島、中日、ヤクルトなどセリーグのほとんどの球団と対決しましたが、どの球団に対しても強かったです。森監督自身も、現役時代から数えて、選手、コーチ、監督として日本シリーズ20連勝という気の遠くなるような記録をのこしています。(平成5年にヤクルトに負けて記録はストップしました)
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