プロ野球 番外編

野武士集団といわれた西鉄ライオンズの黄金時代の選手たち!

さて、黄金時代シリーズの第2弾です。

今回は、野武士集団といわれ、巨人相手に3連覇した西鉄ライオンズをとりあげます。(昭和31年~昭和33年)

名将、三原修監督は、世間的には巨人の監督を追われ、西鉄ライオンズの監督になったといわれています。

西鉄では、中西、豊田、稲尾など、主に高卒の若い選手をかき集めてチームを編成しました。そして、天才打者の大下弘選手を東急フライヤーズから獲得。チームの柱的存在でした。

レギュラーメンバー

監督

三原修

投手

稲尾和久 別府緑丘高 右投右打
河村久文 別府緑丘高 右投右打
西村貞朗 琴平高 右投右打
島原幸雄 松山東高(中退)右投右打

野手

中堅手 高倉照幸 熊本商業高 右投右打
遊撃手 豊田泰光 水戸商業高 右投右打
三塁手 中西太  高松第一高 右投右打
右翼手 大下弘  明治大学 左投左打
左翼手 関口清治 信州化学 右投右打
一塁手 河野昭修 早稲田大学(中退)右投右打
二塁手 仰木彬  東筑高 右投右打
捕手 和田博実  臼杵高 右投右打

3連覇中の個人成績

投手名 勝利 敗戦 防御率
稲尾和久 89 22 1.31
島原幸雄 49 23 1.69
河村英文 49 31 2.45
西村貞朗 33 22 2.18

投手では、やはり鉄腕こと稲尾投手の勝星が多いです。この3年間は年間約30勝をあげています。勝率も.802で、稲尾さんが登板すれば殆どの試合をものにしています。
島原、河村、西村の3投手も勝星、防御率とも好成績です。

選手名 安打 本塁打 打率
中西太 431 76 .319
豊田泰光 408 43 .293
関口清治 350 41 .276
高倉照幸 312 25 .271
河野昭修 282 3 .246
大下弘 255 9 .271
仰木彬 207 18 .231
和田博美 147 14 .212

打者では、中西太さんが1番貢献しています。
ホームランの数は、1年平均25本と、飛ぶボールを使用している現在のプロ野球くらみると驚く程ではないです。しかし、当時のホームランの数からいえば間違いなく多い部類です。打率は.319と、3割打者が今より少なかった昔のプロ野球では傑出した数字です。

天才打者といわれた大下弘さんは、この3年間のホームランは僅かに9本で、全盛期は過ぎていました。

3連覇中のチーム年度別成績

年度 試合数 勝利 敗戦 勝率
昭和31年 154 96 51 .646
昭和32年 132 83 44 .648
昭和33年 130 78 47 .619
合計 416 257 142 .644

この3連覇中の勝率は、V9前半の巨人と同じく、6割4分以上と高いです。勝星は昭和31年の96勝が最高です。同年は、稲尾、島原、西村の3投手が20勝投手となり、3人だけで合計67勝しています。

日本シリーズの成績

年度 勝敗 MVP
昭和31年 〇西鉄4-2巨人● 豊田泰光
昭和32年 〇西鉄4-0巨人●
1引き分け
大下弘
昭和33年 〇西鉄4-3巨人● 稲尾和久
合計 12勝5敗

対戦相手は3年連続で巨人!この対戦カードは「巌流島の対決」と呼ばれています。

まず、昭和31年に4勝2敗で勝ち、それまで日本シリーズ無敗の巨人に土をつけます。昭和32年は4勝0敗1引き分け。全て1点差ゲームでしたが、巨人は1勝もできませんでした。

さて、あまりにも有名な昭和33年の日本シリーズ。3連敗から4連勝して、西鉄が3連覇を達成しますが、やはり稲尾さんの活躍が凄いです。

6試合登板で4完投含む4勝2敗。投球回実に47イニング。
稲尾さんもキャッチャーからの返球を落としたり、最後は気力だけで投げていたと語っています。

試合のポイントとなったのは10月17日の第5戦。
巨人1点リードで、9回ツーアウトまで追い込まれますが、不振の関口が同点タイムリーヒット。その後、10回裏の稲尾さんがサヨナラホームランを打ち決勝点!3年連続の日本一につながります。

こうしてみると、どんなパターンになっても、最後は西鉄ライオンズが日本一になっています!

昭和33年のシリーズは、西鉄のプレイヤーの話だと、3連敗した時点でみんなもう今年は負けだと諦めていたそうです。それが、大逆転でひっくり返すのだから、西鉄ライオンズはやはり、底力があったチームということですね!

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西鉄ライオンズの特徴

さて、西鉄ライオンズというチームは、名将三原修監督はじめ、鉄腕稲尾和久投手、天才打者大下弘、怪童中西太など、球史に残る大選手がいました。最近のプロ野球のチームは管理野球といわれていますが、その対照的に野武士野球といわれ、豪快な選手が殆ど管理されないで相手チームに勝っていったと伝えられています。

逆転して優勝するのも珍しくなく、前半調子が悪くても、最後は逆転で優勝するのも西鉄ライオンズの特徴だったようです。
流線形打線と言われた打者たちの攻撃力もありましたが、稲尾さん以外にも、河村、西村、島原、といった20勝投手も沢山いたことも大きいと思います。とにかく野球は相手を0点に抑えれば負けはないので。

こんな豪快なチーム作りは、今のプロ野球では難しいかもしれませんが、いつの時代でも一般人ではできないようなプレーをファンはみたいので、これからのプロ野球に期待したいと思います。