プロ野球 番外編

プロ野球監督 勝利数ベストテン  1番勝った監督は誰だ?

日本のプロ野球では、過去実に沢山の監督が誕生しました。その数は300人以上。過去の監督の中で、誰がNO.1の監督でしょうか?

西鉄ライオンズで、大下、中西、豊田、稲尾選手らの野武士を起用し、劇的な勝ち方で巨人を相手に3連覇した三原修監督

南海ホークスで23年間も監督を務め、1773勝、通算勝率.609を記録した鶴岡一人監督

長嶋茂雄、王貞治という両雄を起用し、前人未到の9連覇を達成した川上哲治監督

監督勝利数ベスト10

南海ホークス一筋で23年間監督を務めた鶴岡さんが勝利数トップです。

1位 鶴岡一人 1773勝
2位 三原修  1687勝
3位 藤本定義 1657勝
4位 水原茂  1586勝
5位 野村克也 1565勝
6位 西本幸雄 1384勝
7位 上田利治 1322勝
8位 王貞治  1315勝
9位 別当薫  1237勝
10位 星野仙一 1181勝 

鶴岡さんは、自身も南海ホークスの三塁手として活躍し、3度のMVPを受賞。戦後の昭和21年から監督兼任となり、南海ホークスを指揮しました。

1チームで23年間監督を務めたのも日本記録。その間、Bクラスに落ちたのも1度だけ、年間最多勝(昭和30年の99勝)の日本記録ももっています。

選手からは親分と言われて慕われて、別所毅彦、野村克也、広瀬叔功、杉浦忠、皆川睦雄らの実力ある選手を起用し、南海の黄金時代をきずきました。

「グラウンドには銭が埋まっている」の名言をのこしたのも鶴岡さんです。

優勝回数

読売ジャイアンツで9連覇を達成した川上さんが優勝回数トップです。

1位 川上哲治 11回(日本シリーズ優勝11回)
   鶴岡一人  11回(日本シリーズ優勝2回)

3位  水原茂  9回(日本シリーズ優勝5回)
   藤本定義 9回(日本シリーズ優勝0回)

5位 森祇晶 8回(日本シリーズ優勝6回)
   原辰徳  8回(日本シリーズ優勝3回)
   西本幸雄 8回(日本シリーズ優勝0回)

※鶴岡さんと藤本さんは1リーグ時代の優勝も含みます

監督年数

黎明期の巨人で黄金時代を築き、阪神の監督も務めた藤本さんが監督年数トップです。

1位 藤本定義 29年間

○東京巨人軍           7年 (昭和11年~17年)
○パシフィック、太陽ロビンス   2年 (昭和21年~22年)
○金星スターズ、大映スターズ   9年 (昭和23年~31年)
○阪急ブレーブス         3年 (昭和32年~34年)
○大阪タイガース、阪神タイガース 8年 (昭和36年~43年)

監督試合数

3チームを優勝させ、西鉄ライオンズで黄金時代を築いた三原さんが監督試合数トップです。

1位 三原修 3248試合

○読売ジャイアンツ 393試合  (昭和22年~24年)
○西鉄ライオンズ  1189試合 (昭和26年~34年)
○大洋ホエールズ  1079試合 (昭和35年~42年)
○近鉄バファローズ 395試合  (昭和43年~45年)
○ヤクルトアトムズ 390試合  (昭和46年~48年)

まとめ 名監督の基準とは?

正直、監督としての記録は調べればわかりますが、そもそも何を基準に名監督というのでしょうか?

例えば、名球会なら投手は200勝、250セーブ、打者なら2000本安打と、記録で基準があります。しかし、監督の場合何勝したから名監督という基準はありません。(名選手も同じ)

ただ、勝負の世界ですから監督の目的は間違いなく勝つことですし、勿論選手を育てるという要素もあります。

ただ、どんなに上手い采配をしても戦力に恵まれなければ優勝は難しいですし、逆に戦力に恵まれても采配がイマイチならやっぱり優勝は難しいと思います。

例えば、西武の監督として黄金時代を築いた森監督ですが、西武時代は9年間で8度リーグ優勝しました。西武時代の9年間の勝率は.608。優勝確率88%です。

しかし、その後、横浜ベイスターズの監督を2年間務めましたが、結果は3位と6位です。
しかも、2年目のチームの勝率は.363です。

これは、僕が思うに、森さんの采配がまずかったのではなく、戦力が巨人に比べて劣っていたことが大きいと思います。(他の理由もあるかもですが)

海の向こうの大リーグでもこういう言葉があります。「名監督なんていやしない。いつだって名選手が名監督をつくるんだ」と。

この言葉が100%真実とも思えませんが間違ってるとも思えません。

上記に色々な監督の記録を載せましたが、そういうことを理解して読んでもらうと幸いです。